「この子お父さん似だわ。」
「誰に似たか知らないけれど、この子は目が変だよ。ほかの子は一人もこんな目じゃなかったよ、みんな赤ん坊の時から蒼々《あおあお》した大きい目だったよ。この子の目だけは何だか雲がかかったようではっきりしないよ。おら何だか人間でないような気がするよ。」
「そうかしら。こんなうちは判んないわよ。」
外は少し風が出て、硝子戸ががたがたした。するうち小さい妹が前後して、学校から帰って来た。みんなで下で煎餅を食べながら、お茶を呑《の》んだ。
「お銀姉ちゃん泊まって行くの。泊まって行くといいな。」
大きい方が言った。
「泊まってなんか行くもんかよ。風が出たから早く帰んなきゃ。」
母は帰りを促し気味であった。
十四
銀子は蟇口《がまぐち》から銀貨を出して妹に渡し、
「これお小遣《こづか》い、お分けなさい。」
そう言って帰りかけたが、父は額に濡手拭《ぬれてぬぐい》を当て臥《ね》そべっており、母はくどくどと近所の噂《うわさ》をしはじめ、またしばらく腰を卸していた。父は仕事ができないし、怪我《けが》をしなくても、元来春先になると、頭が摺鉢《すりばち》をかぶったように鬱陶《うっとう》しくなるのが病気で、碧《あお》い天井の下にいさえすれば、せいせいするので、田舎《いなか》へ帰りたくもあったが、本格的な百姓の仕事はできもしないのであった。
母親も今更住み馴《な》れた東京を離れたくはなかった。彼女はこの界隈《かいわい》でも、娘によって楽に暮らしている家のあることを知っていた。銀子とは大分時代の違う按摩《あんま》の娘は、この二三年二人とも上野の料亭《りょうてい》山下に女中奉公をしているうちに、亀井戸に待合を買ってもらったとか、貧乏なブリキ屋の娘が、テケツ・ガールから請負師の二号になり、赤ん坊を大した乳母車《うばぐるま》に載せて、公園を歩いていたとか。彼女はそれを銀子に望んでいるわけでもなく、むしろいくらか軽蔑《けいべつ》の意味で話しているのだったが、浮かびあがった親の身の上は、羨《うらや》ましくなくもなかった。
父はルムペンかと思うような身装《みなり》も平気だが、母は軟《やわ》らかい羽織でも引っかけ、印台の金の指環《ゆびわ》など指に箝《は》めて、お詣《まい》りでもして歩きたいふうで、家の暮しも小楽らしく何かと取り繕い、芸者をしている娘から仕送っ
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