生臭い喧嘩《けんか》に連累し、そのころはもう岡っ引ではない刑事に追われ、日光を山越えして足尾に逃げ込み、養蚕の手伝いなどしていたこともあり、若い時は気が荒かったというので均平も少し気味悪がっていたけれど、苦労をさせたことを忘れないので銀子のことは銀子の好きなようにさせ、娘を操《あやつ》って自身の栄耀《えいよう》を図ろうなどの目論見《もくろみ》は少しもなかった。酒も呑まず賭事《かけごと》にも手を出さず、十二三歳の時から、馬で赤城《あかぎ》へ薪《たきぎ》を採りに行ったりして、馬を手懐《てなず》けつけていたので、馬に不思議な愛着があり、競馬馬も飼い、競馬場にも顔がきいていた。
均平はその後も、前科八犯という悪質の桂庵にかかり、銀子の後見として解決に乗り出し、千住《せんじゅ》辺へ出かけた時とか、または堀切《ほりきり》の菖蒲《しょうぶ》、亀井戸《かめいど》の藤《ふじ》などを見て、彼女が幼時を過ごしたという江東方面を、ぶらぶら歩いたついでに、彼女の家へ立ち寄ったこともあり、母親の人となりをもだんだん知るようになった。
汽車で清水隧道《しみずトンネル》を越え、山の深い越後《えちご》へ入って幾時間か行ったところに、織物で聞こえた町に近く彼女の故郷があり、村の大半以上を占める一巻という種族の一つから血を享《う》けているのだったが、交通の便もなく、明治以来の文化にも縁のないこの山村では、出るものとては百合《ゆり》とかチュリップとか西瓜《すいか》くらいのもので、水田というものもきわめてまれであった。織物が時に銀子のところへ届き、町の機業家も親類にあるのだったが、この村では塩鮭《しおざけ》の切身も正月以外は膳《ぜん》に上ることもなく、どこの家でも皺《しわ》くちゃの一円紙幣の顔すら容易に見られなかった。他国者は異端視され、村は一つの家族であった。
「その代り空気は軽いし、空はいつでも澄みきっているし、夜の星の綺麗《きれい》さったらないわ。水は指が痺《しび》れるほど冷たくて、とてもいい気持よ。高い処《ところ》へ登るとアルプス連山や赤倉あたりの山も見えるの。」
銀子も若い時分一度行ったことがあったが、妹の一人は胸の病気をその山の一と夏で治《なお》した。
「けれどあんな処でも肺病があるのはどういうんだろう。お母さんの一家は肺病で絶えたのよ。お父さんも兄弟も。私あすこへ行って初めて聞いて解《わ
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