草盆《たばこぼん》に結い、涕汁《はなみず》を垂らしながら、竹馬にも乗って歩いた。午後になると、おいてき堀《ぼり》といわれる錦糸堀《きんしぼり》の原っぱへ出かけて行く。そこには金子の牧場があり、牛の乳を搾《しぼ》っていたが、銀子はよくそこで蒲公英《たんぽぽ》や菫《すみれ》を摘んだものだが、ブリキの乳搾りからそっと乳を偸《ぬす》んで呑《の》み、空《から》の時は牛の乳からじかに口呑みに呑んだりもした。彼女はよく川へ陥《はま》り、寒さに顫《ふる》えながら這《は》いあがると、棧橋《さんばし》から川岸の材木納屋へ忍びこんで、砂弄《すないじ》りをしながら着物の乾くのを待つのだった。
二丁ばかり行くと、そこはもう場末の裏町で、おでん屋や、鼈甲飴屋《べっこうあめや》の屋台が出ていた。飴は鳩《はと》や馬や犬の型に入れられ、冷《さ》めたところで棒ごと剥《は》がれるのが、後を引かせるのだったが、その辺には駄菓子屋もあり、文字焼にあんこ焼などが、子供の食慾をそそり、銀子は金遣《かねづか》いのきびきびしているところから、商人たちにも人気がよかった。
そんな育ち方の銀子なので、芸者屋の雰囲気《ふんいき》と折り合いかね、目見えも一度では納まらなかった。
四
均平も、銀子がまだ松の家にいる時分、病気で親元へ帰っている彼女からの手紙により、水菓子か何かもって見舞に行ったこともあった。
「お父さんもお母さんも、田舎《いなか》へ行って留守だから、お上がんなさいな。」
と店つづきの部屋で、独りぽつねんと長火鉢《ながひばち》の前に坐っている彼女にいわれ、二階から妹たちも一人一人降りて来て挨拶《あいさつ》するのだったが、彼女は鼠《ねずみ》に立枠《たてわく》の模様のある新調のお召を出して見せ、
「いつ旅行するの。私着物を拵《こさ》えて待っていたのに。」
と催促するのだった。
家をもった時、父親が箪笥《たんす》や葛籠《つづら》造りの黒塗りのけんどん[#「けんどん」に傍点]などを持ち込み、小さい世帯《しょたい》道具は自身リヤカアで運び、釘《くぎ》をうったり時計をかけたりしていたが、職人とも商人ともつかぬ、ステンカラの粗末な洋服を着ており、昔し国定と対峙《たいじ》して、利根川《とねがわ》からこっちを繩張《なわばり》にしていた大前田の下ッ端《ぱ》でもあったらしく、請負工事の紛紜《いざこざ》で血
前へ
次へ
全154ページ中59ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
徳田 秋声 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング