「みんなどうして、あんなに色っぽくできるのかと思うわ。」
「恋愛したことはあるだろう。」
「そうね、商売に出たてにはそんなこともあったようだわ。あんな時分は訳もわからず、ぼーっとしているから、他哩《たわい》のないものなのよ。先だって若いから、恋愛ともいえないような淡いものなの。」
銀子にもそんな思い出の一つや二つはあったが、彼女が出たての莟《つぼみ》のような清純さを冒された悔恨は、今になっても拭《ぬぐ》いきれぬ痕《あと》を残しているのであった。
父が何にも知らず、行き当りばったりに飛び込んで行った浅草の桂庵《けいあん》につれられて、二度目の目見えで、やっと契約を結んだ家《うち》は、そうした人生の一歩を踏み出そうとする彼女にとって、あまり好ましいものではなかった。
彼女は隣りの材木屋の娘などがしていたように、踊りの稽古《けいこ》に通っていたが、遊芸が好きとは行かず、男の子のような悪さ遊びに耽《ふけ》りがちであった。そこは今の江東橋、そのころの柳原《やなぎわら》で、日露戦争後の好景気で、田舎《いなか》から出て来て方々転々した果てに、一家はそこに落ち着き、小僧と職人四五人をつかって、靴屋をしていたのだったが、銀子が尋常を出る時分には、すでに寂れていた。ちょうど千葉|街道《かいどう》に通じたところで水の流れがあり、上潮の時は青い水が漫々と差して来た。伝馬《てんま》や筏《いかだ》、水上警察の舟などが絶えず往《ゆ》き来していた。伝馬は米、砂糖、肥料、小倉《おぐら》石油などを積んで、両国からと江戸川からと入って来るのだった。舟にモータアもなく陸にトラックといったものもまだなかった。
銀子は千葉や習志野《ならしの》へ行軍に行く兵隊をしばしば見たが、彼らは高らかに「雪の進軍」や「ここはお国を何百里」を謳《うた》って足並みを揃《そろ》えていた。
銀子はそこで七八つになり、昼前は筏に乗ったり、※[#「※」は「てへん+黨」、第3水準1−85−7、374−上19]網《たも》で鮒《ふな》を掬《すく》ったり、石垣《いしがき》の隙《すき》に手を入れて小蟹《こがに》を捕ったりしていた。材木と材木の間には道路工事の銀沙《ぎんさ》の丘があり、川から舟で揚げるのだが、彼女は朝飯前にそこで陥穽《おとしあな》を作り、有合せの板をわたして砂を振りかけ、子供をおびき寄せたりしていたが、髪を引っ詰めのお煙
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