言われした。
 痴話|喧嘩《げんか》のあとは、小菊も用事をつけるか、休業届を出すかして骨休めをした。
 そのころになると、とっくに本郷の店も人に譲り、マダムの常子も春日町の借家を一軒立ち退《の》かせ、そこで小綺麗《こぎれい》に暮らしていたが、もう内輪同様になっているので、気が向くと松の家へ入りこみ、世間話に退屈を凌《しの》いだ。小菊も薄々知っていたが、松島も折にふれては機嫌《きげん》取りに春日町を訪ねるらしく、芸者を抱える時に、ちょっと金を融通してもらったりしていた。前々からのはどうなっているのか、多分一旦は何ほどか返したと思うと、また借りたり、ややこしいことになっているので、常子も松島も明瞭《めいりょう》なことは解《わか》らず、彼女もたまに返してもらえば、思わぬ株の配当でも貰《もら》ったような気がするのだった。
 松島も次第に商売の骨《こつ》もわかり、周旋屋の手に載せられるようなどじ[#「どじ」に傍点]も踏まず、子供を使いまわすことにも、特得の才能が発見され、同業にも顔が利くようになった。やがて松の家の芸者が立てつづけに土地での玉数《ぎょくかず》のトップを切り、派手好きの松島は、菰冠《こもかぶ》りを見番へ担《かつ》ぎ込ませるという景気であった。
 松島は夏になると、家では多勢の抱えの取締りをお篠お婆《ばあ》さんと小菊に委《まか》せて伊香保《いかほ》へ避暑に出かけることにしていた。小菊|母子姉妹《おやこきょうだい》も交替で行くこともあり、春日町のマダムも出かけた。毎年旅館は決まっていて、六月の半ば過ぎになると、早くも幾梱《いくこり》かの荷物が出入りの若衆の手で荷造りされ、漬物桶《つけものおけ》を担ぎ出さないばかりの用意周到さで同勢上野へ繰り出すのであった。松島はすらりとした痩《や》せ形で、上等の上布|絣《がすり》に錦紗《きんしゃ》の兵児帯《へこおび》をしめ、本パナマの深い帽子で禿《はげ》を隠し、白|足袋《たび》に雪踏穿《せったば》きという打※[#「※」は「にんべん+分」、第3水準1−14−9、367−下9]《いでたち》で、小菊や品子を堅気らしく作らせ、物聴山《ものききやま》とか水沢の観音とか、または駕籠《かご》で榛名湖《はるなこ》まで乗《の》し、榛名山へも登ったりした。部屋は離れの一|棟《むね》を借り、どんなブルジョウアかと思うような贅沢《ぜいたく》ぶりであった。

前へ 次へ
全154ページ中51ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
徳田 秋声 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング