は呶鳴《どな》る。小菊は誰某《たれそれ》と一座で、客は呑み助で夜明かしで呑もうというのを、やっと脱けて来たと、少し怪しい呂律《ろれつ》で弁解するのだったが、それはそんなこともあり、そうでない時もあった。
松島は出て行く時の、帯の模様の寸法にまで気をつけるのだったが、帰る時それがずれているか否かはちょっと見分けもつきかねるのだった。
十
何とか言っているうちに、春を迎えたかと思う間もなく盆がやって来、月が替わるごとの移りかえが十二回重なればもう暮で、四五年の月日がたつうちに、この松廼家《まつのや》も目にみえて伸び出して来た。昨日まで凍《かじか》んだ恰好《かっこう》で着替えをもって歩いていた近所のチビが、いつの間にか一人前の姐《ねえ》さんになりすまし、あんなのがと思うようなしっちゃか面子《めんこ》が、灰汁《あく》がぬけると見違えるような意気な芸者になったりするかと思うと、十八にもなって、振袖《ふりそで》に鈴のついた木履《ぽっくり》をちゃらちゃらいわせ、陰でなあにと恍《とぼ》けて見せる薹《とう》の立った半玉もあるのだった。
とんとん拍子の松の家でも、その間に二十人もの芸者の出入りがあり、今度は少し優《ま》しなのが来たと思うと、お座敷が陰気で裏が返らなかったり、少し調子がいいと思っていると、客をふるので出先からお尻《しり》が来たり、みすみす子供が喰《く》いものになると思っても、親の質《たち》のわるいのは手のつけようがなく、いい加減前借を踏まれて泣き寝入りになることもあった。係争になる場合の立場も弱かった。
せっかく取りついてみたが松島もつくづくいやになることもあった。抱えの粒が少しそろったところで小菊に廃業させ、今は被害|妄想《もうそう》のようになってしまった自分の気持を落ち着かせ、彼女をもほっとさせたいと思うのだったが抱えでごたごたするよりか、やっぱり自分で働く方が、体は辛《つら》くとも気は楽だと小菊は思うのであった。
松島は小菊の帰りが遅くなると、後口があるようなふうにして電話をかけ、そっと探りを入れてみたりすることもあり、少し怪しいと感づくと、帳場に居たたまらず、出先の家《うち》のまわりをうそうそ歩くことも珍しくなかった。
「夜店のステッキがまたじゃんじゃんするといけないから、貴女《あなた》は早くお帰り。」
などと小菊は傍《はた》から言われ
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