。いくら泳ぎが巧くたって大の男に死物狂いで掴まられた日にゃ往生だからね。尤も水のなかの仕事だから、能くは解らねえ。よくは解らねえが、まあそうだろうと云う皆さんの鑑定だ。 
 忰の体は、その時錨にかかって挙ったにゃ揚ったが、もう駄目だった。秋山さんの方は、それから大分日数がかかった。これは相も悉皆《すっかり》崩れていたという話でね。」
 爺さんはそこまで話して来ると、目を屡瞬《しばたた》いて、泣|面《づら》をかきそうな顔を、じっと押|堪《こら》えているらしく、皺の多い筋肉が、微かに動いていた。煙管を持つ手や、立てている膝頭のわなわな戦《わなな》いているのも、向合っている主の目によく見えた。
「忘れもしねえ、それが丁度九月の九日だ。私はその時、仕事から帰って、湯に行ったり何かしてね、娘どもを相手に飯をすまして、凉んでるてえと、××から忰の死んだ報知《しらせ》が来たというんだ。私アその頃籍が元町の兄貴の内にあったもんだから、そこから然う言って電報が此処へ届く。どうも様子が能く解らねえ。けど、その晩はもう遅くもあるし、さアと云って出かけることもならねえもんだから、明朝《あした》仕事を休んで一番
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