と飛込んじゃった。残念でならんがだ。」爺さんは調子に乗って来ると、時々お国訛りが出た。
「そこへ上官が二人通りあわせて、乗棄ててある馬を見るとえ――、たしかに秋山大尉の馬だ。どうも変だというので、百姓に聞いて見るてえと、もう少し前《さき》に、士官が一人鉄橋を渡って行くのを見かけたという話だ。帰って来さっしゃらねえところを見ると、どうも可怪いと云う。さア大変秋山を殺すなという騒ぎになって、××じゃ将校連が集って、急いで人名簿を調べる。そうして水練の上手な兵士を三十人選抜して、秋山大尉を捜させようと云うんだ。その人選のなかへ、私のとこの忰も入ったのさね。」
 吉兵衛さんの顔が、紅く火照《ほて》って来た。そして口にする間もない煙管《きせる》を持ったまま、火鉢の前に立膝をしていた。鼻の下にすくすく生えた短い胡麻塩髭や、泡のたまった口が汚らしく見えた。
「忰は水練じゃ、褒状を貰ってましたからね。何でも三月からなくちゃ卒業の出来ねえところを、宅の忰はたった二週間で立派にやっちまった。それで免状をもらって、連隊へ帰って来ると、連隊の方でも不思議に思って、そんな箆《べら》棒な話がある訳のもんじゃねえ、きっと何かの間違だろうッてんで向へ聴合せたんだ。すると教官の方から疑わしいと思うなら、試してくれろっていう返辞なので、連れてって遣《やら》して見るてえと、成程|技《わざ》はたしかに出来る。こんな成績の好いのは軍隊でも珍らしいというでね……
 それだから秋山大尉を捜すについちゃ、忰も勿論呼出されて、人選に加わったと云う訳なんで……
 それで三十人の兵士は一度に河へ飛び込んだ。けど何しろ時間が経っている。それに河巾も広い、深さもなかなか如何して深い河だ。いくら捜しても、迚《とて》も見つかりっこはありゃしねえと云んで、皆なまあ一時引揚げることにして錨を流して見ることになったんだ。
 処が人数を調べてみると、上等兵の大瀬だけが一人揚って来ねえ。そいつは大変だと云うんで、また忰を捜すと云う騒ぎだ。だが、何処を捜しても姿が見えねえ。……何でも秋山さんは深い水の底にあった、大きな木の株に挟まっていたそうでね、忰は首尾よく秋山さんを捜しあてたにゃ当てたけれど、体へ掴まられたんで、どうにも恁《こう》にも足※[#「足+宛」、第3水準1−92−36、163下−12]《あがき》が取れなくなって了ったものなんだ
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