つたやうな重苦しい感じがそこに淀《よど》んでゐるやうな日であつた。それは全くいつもの春には見られないやうな、妙に拍子ぬけのした気分であつた。
彼は何だか勝手がちがつたやうな気がしてゐたが、それは彼の神経の弱々しさも一つの原因であつたが、余り自然に興味をもちすぎる彼の習慣から来てゐるものだとも思はれた。其のうへ彼は又この二三日、ひどく煩《わづら》はしいことが彼の頭に蔽被《おつかぶ》さつてゐることを不快に思つた。
それは磯村のやうに、家庭に多勢の子供をもつてゐると同時に、社会的にも少しは地位をもつてゐるものに取つては、可也《かなり》皮肉な出来事であつたからで、気の小さい、極《きま》り悪《わる》がり屋の彼は、何《ど》うかして甘《うま》くそれを切りぬけようと、頭脳《あたま》を悩ましてゐた。
「あの女がまた来ましたよ。」
磯村が何か深い心配事があるやうな調子で、さう言つて、妻に脅《おびや》かされたのは、三日ばかり前の夜のことであつた。
その夜彼は会があつて、帰りが思ひの外遅くなつた。おしやべりをしたり、酒を飲んだりしたので、彼はひどく疲れてゐたが、妻にさう云はれると、又かと思つて少しは胸
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