と浮かんで来たりして、急いで番町へ引っ返したものなの。あの人はいなかったけれど、やがて帰って来て私を見ると、赭靴《あかぐつ》のまんま上がって来ていきなり私に飛びついて泣いたのよ。阿母《おっか》さんとこへ寄って泣いて来たらしいの。」
「お株がはじまったわけだ。」
 庸三はちびちび嘗《な》めた葡萄酒《ぶどうしゅ》に、いくらか陶然としていたが、その情景を想像して少し苛《いら》つき気味であった。
 時間のたつのは迅《はや》かった、庸三は小遣《こづかい》を少しやって、十時ごろに彼女を還《かえ》した。
 しかしそんなことも一度や二度ではなかった。ある時は同時ごろに、その家へ行くこともあったが、ある時は三十分も待たされることもあった。ぽつねんと独り待っているうちに、初夏の軽い雨が降り出し、瑠璃色《るりいろ》のタイルで張られた露台に置き駢《なら》べられた盆栽が、見る間に美しく濡《ぬ》れて行った。ここは汽車の音も間近に聞こえ、夜深《よふけ》には家を揺する貨車の響きもするのだったが、それさえ我慢すれば居心地《いごこち》は悪くなかった。時とすると、そのころ一年ばかりも小夜子と爛《ただ》れ合っていた、大衆作家
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