葉子にもすっかり文壇との交遊を絶ってもらいたいというのが、かねての彼の申出《もうしい》でらしかったが、葉子は文壇に乗り出す手段としてこそ、そうしたペトロンも必要だったが、そこまで附いて行けるかどうかは彼女自身にも解っていなかった。
 間もなく葉子が帰って来た。
「綺麗《きれい》な男じゃないか。」
「そう思う?」
 葉子は微笑した。
 その時分彼女はまだすっかり宿を引き払っていなかったので、秋本に逢《あ》ったのは、今日が初めかどうかは解《わか》らなかったし、玄関口で二人で何か話していたことも知っていたが、晴々しい顔をして傍《そば》へ返って来た葉子を見ると、多少の陰影があるにしても、それは単に歌のことで指導を受けている間柄のようにしか見えなかった。
 その時分庸三の周囲が少しざわついていた。新聞にも二人の噂《うわさ》が出ていて、時とすると匿名《とくめい》の葉書が飛びこんだり、署名して抗議を申しこんで来たものもあって、そのたびに庸三は気持を暗くしたり、神経質になったりするのだが、葉子はそろそろ耳や目に入って来るそれらの非難を遮《さえ》ぎるように、いつも彼を宥《なだ》め宥めした。家庭の雰囲気《
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