がないものですから、私早く切り揚げようと思って、つい……。」
「君|風呂《ふろ》があったら入ってくれない?」
「ええ、入って来るわ。」
 葉子は追い立てられるように下へおりて行った。

      四

 ある時庸三が庭へ降りて、そろそろ青みがかって来た叡山苔《えいざんごけ》を殖《ふ》やすために、シャベルをもって砂を配合した土に、それを植えつけていると、葉子は黝《くろ》ずんだ碧《あお》と紫の鱗型《うろこがた》の銘仙《めいせん》の不断着にいつもの横縞《よこじま》の羽織を着て、大きな樹《き》一杯に咲きみちた白|木蓮《もくれん》の花影で二三日にわかに明るくなった縁側にいた。葉子が松川と一緒に子供をつれて、嵩高《かさだか》な原稿を持ち込んで来たのが、ちょうどこの木蓮の花盛りだったので、彼女はその季節が来ると、それを懐かしく思い出すものらしかったが、ちょうどその時、葉子に来客があって、それが郷里の代議士秋本であるというので、庸三はシャベルを棄《す》てて、縁側へ上がって来た。郷里の素封家である秋本は、トルストイやガンジーの崇拝者で、何か文学に関する著述もあったが、もともと歌人で、数ある葉子の歌をい
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