るうちに、畳のうえに延べられた手に顔をもって行くと、彼女は微声《こごえ》で耳元に「行くところまで……」とか何とか言ったのであったが、彼はそういうふうにして悪戯《いたずら》半分に彼女に触れたくはなかったこと、一夜彼女が自分が果して世間でいうような悪い女かどうかの判断を求めるために、初めから不幸であった結婚生活の破滅に陥った事情や、実家からさえも見放されるようになった経緯《いきさつ》、それに最近の草葉との結婚の失敗などについて、哀訴的に話しながら、止め度もなく嗚咽《すすりな》いた後で、英国のある老政治家と少女との恋のロオマンスについて彼女特得の薔薇色《ばらいろ》の感傷と熱情とで、あたかもぽっと出の田舎ものの老爺に、若い娘がレヴュウをでも案内するようなあんばいで、長々と説明して聴《き》かしたことなどが思い合わされるのであったが、ある日の午後彼はふと原稿紙やペンやインキを折鞄《おりかばん》につめて、差し当たっての仕事を片着けるために、郊外のそのホテルへ出ようとして、ちょうど遊びに来ていた葉子を誘ってしまったのであった。
「ほんと? いいんですの?」葉子は念を押した。
 そしてそうなると、彼は引
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