すか。」
「私ですの? 私母からもらう財産がいくらかございますの。先生のお宅にいることになれば、着物や何かも仕送ってくれますの。今度来る時、母にもその話をしましたの。無論母も同意ですの。」
「さあ。何しろ僕は家内が死んで間もないことだし、ゆっくり考えてみましょう。そう軽率に決めるべきことでもないんですから。」
 庸三も彼女も固くなってしまったところで、葉子を照れさせないために彼は蓄音機を聴《き》きに、裏にある子供の家へ案内した。地続きにあるその古家《ふるや》は、二つに仕切って一方には震災のとき避難して来て、そのままになっている弁護士T氏の家族が住まい、三間ばかりの一方に庸三の上の子供たちが寝起きしていた。庭を横截《よこぎ》って二人で上がって行くと、書棚《しょだな》や椅子《いす》や額や、雑書雑誌などの雑然と積み重ねられたなかで、子供の庸太郎が、喫茶台の上と下に積んであるレコオドのなかから、彼女に向きそうなチャイコフスキイのアンダンテカンタビレイをかけてくれた。音楽のわからない父にも、それがエルマンの絃《げん》であることくらい解《わか》ることは庸太郎も知っていた。葉子は足を崩し細長い片手を
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