いことよ。」葉子は平気らしく言って、やがて立ちあがった。
「何時ごろ帰る?」
「十時――遅くも十一時には帰って来るわ。」
彼女は指切りをして降りて行った。
庸三は空虚な心のやり場をどこに求めようかと考えるまでもなく、いつも行きつけの同じ大川ぞいの小夜子《さよこ》の家へタキシイを駆るのであった。するとちょうど交叉点《こうさてん》のあたりまで乗り出したところで、その辺を散歩している長男と平田青年とに見つかって、二人はいきなり車に寄りついて来た。
「どこへ行くんです。」
「ううん、ちょっと飯くいに……。」
庸三は少し狼狽《ろうばい》気味で、「一緒に乗らない?」と言ってしまった。
得たり賢しと二人は入って来たものだった。
庸三は多勢《おおぜい》の子供のなかでも、幼少のころから長男を一番余計手にもかけて来たし、いろいろな場所へもつれて行った。珍らしい曲馬団が来たとか、世界的な鳥人が来たとか、曲芸に歌劇、時としてはまだ見せるのに早い歌舞伎劇《かぶきげき》をも見せた。ある年|向島《むこうじま》に水の出た時、貧民たちの窮状と、救護の現場を見せるつもりで、息のつまりそうな炎熱のなかを、暑苦しい
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