見せた。庸三はちょっと手に取って見たが、その文面だけでは前後の係りがよくわからず、掻《か》い摘《つま》んで言うと、せっかくのお言葉だけれど、いろいろ考慮した結果、遺憾《いかん》ながら希望にそうわけには行かないから悪《あ》しからずという意味で、婉曲《えんきょく》に拒絶しているのだった。
「これだけでは何だかよく解《わか》らないけれど。」
 葉子は紙片を畳んで手提のなかへ入れたが、泣いたあとではいくらか顔も晴れて来た。
「やっぱり私は悪い女なの?」
「さあ。君自身が判断しなくちゃ。」
「そうお。」
 車は広小路から坂本の方へ出て行き、狭苦しい町の中の雑踏へ来てから、陸橋の袂《たもと》で駐《と》まったが、その家《うち》はいつ来ても庸三は気分がよかった。それにたといそれがどんな家庭であるにしても、葉子をおくのに相応《ふさわ》しいものではなかった。彼女の逃げようとしているものは、いつも求めていたものであった。望みはそう大きいものでも高いものでもないながらに、手に取った瞬間現実のいやな匂いが鼻につくのだった。彼女には自身を支える骨格がなかった。
「清川さん私を愛していたのかしら。それとも愛していなかったのかしら。」
 その言葉はちょうど庸三とは反対に、愛に狎《な》れた彼女の乱舞を許さない清川の理智的《りちてき》であることを証明しているようなものだが、葉子の異性としての清川への愛情の尺度でもあった。
「あの人は兄にも言ったそうですの、葉子と一緒にいたんじゃ勉強ができないって。」
 葉子は見えも外見もなく、擽《くすぐ》ったそうに苦笑するのだったが、そうなると彼女も清川によって、無慚《むざん》に路傍に叩《たた》き※[#「※」は「足へん」+「倍」のつくり、第3水準1−92−37、317−下−19]《のめ》された花束のようなものであった。

      三十

 三丁目のアパートは、震災後その辺に出来た最初のアパートであった。この都会は今なお復興の途上にあったが、しかし新装の町並みはあらかた外貌《がいぼう》を整えて来た。巌丈《がんじょう》一方の鉄筋コンクリイトのアパアトも、一階に売薬店があり、地坪は狭いが、四階の上には見晴らしのいい露台もあって、二階と三階に四つか五つずつある畳敷きの部屋も、床の間や袋戸棚《ふくろとだな》も中へくり取ってあり、美しい装飾が施されてあった。ある教育家の子息《むすこ》が薬局の主人と乗りで、十万金を投じて建てたものだったが、葉子の契約した四階の部屋は畳数も六|帖《じょう》ばかりで、瓦斯《ガス》はあったが、水道はなかった。厳重に金網を張った大きい窓の扉《とびら》を開けると、広小路のデパアトの、額《ひたい》にリボンをかけたような青と赤で筋取ったネオンが寂しく中空に眺められ、目の下には、早くもその裏町に巣喰《すく》ったカフエの灯影《ほかげ》やレコオドの音が流れていたが、表通りの雑音が届かないし、上がり口のちがった背中合せの部屋に、たまに人声がするだけで、どの部屋にも客がないので、さながら城楼に籠《こ》もったように閑寂《ひっそり》していた。
「私書きかけているものがあるのよ。出来あがったら見ていただくつもりで、一生懸命馬力をかけているの。」
 葉子は大分前にも、ちょっとそれを仄《ほの》めかしていたが、アパアトヘ立て籠もろうとしたのも、それを完成したいためであった。それは国民新聞の懸賞小説に応募するためで、彼女はその一作によって新しいスタアトを切り、文壇への更生を謀《はか》ろうとして心血を灑《そそ》いでいたもので、その衷情を訴えられてみると、庸三も一概に見切りをつける気にはなれず、打ち※[#「※」は「足へん」+「倍」のつくり、第3水準1−92−37、318−上−23]《の》めされながらもまた起きあがろうと悶※[#「※」は「足へん+宛」、第3水準1−92−36、318−上−23]《もが》いている彼女に、何か目鼻をつけてやりたくもなるのだった。彼は三月分の敷金も出してやり、保証人にもなって、毎日のようにその部屋をも見舞うのであった。
 庸三はその部屋で、飯のかわりによくコーヒを飲み、パンをやいて食べたが、夜は外へ出て、葉子がいつの間にかお馴染《なじみ》になっているおでんやだの、安直なレストランなどで食事を取ったりした。若いもの同志二人、共同で床店《とこみせ》を出しているおでんやの一人は、昼間はある私立大学の文科へ通っている、町の文学青年だったが、能登《のと》の産まれで、葉子とはすでに裏町の女王とナイトのような関係になっていた。そのころになると、大森のある詩人とそのマダムに愛されていた少年詩人も、脚気《かっけ》を患《わずら》って病的な心臓を悪くし、寝るにも起きるにも着たきりの黒い洋服とともに憊《くたぶ》れはてて、再縁している古里《ふるさと
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