行って着物を着せ茶の間へつれ出して来た。
「おじさんにお早ようするのよ。」
瑠美子は言う通りにした。
「寝坊だな。」
庸三は言ったきり、むっつりしていた。葉子はちょっと台所へ出て行ったが、間もなく傍へ来て坐った。かと思うと、また立って行った。庸三は何かお愛相《あいそ》の好い言葉をかけなければならないように感じながら、わざとむっつりしていた。そして瑠美子が箸《はし》を取りあげるのを汐《しお》に、見ているのが悪いような気もして、やがて立ちあがった。そして机の前へ来て煙草《たばこ》をふかしていた。と、いきなり葉子が転《ころ》がるように入って来たと思うと、袂《たもと》で顔を蔽《おお》って畳に突っ伏して泣き出した。彼女は肩を顫《ふる》わせ、声をあげて泣きながら、さっきから抑え抑えしていた不満を訴えるのだった。
「先生という人は何て冷たい人間なんでしょう。先生が気むずかしい顔だから、私がはらはらして瑠美子にお辞儀をさせても、先生はまるで凍りついたような表情をして、笑顔《えがお》一つ見せてくれようとはしないんです。あの幼い人が先生の顔を見い見いして神経をつかっているのに、先生は路傍の人の態度で外方《そっぽ》むいているじゃありませんか。私は心が暗くなって、幾度となく台所へ出て涙を拭《ふ》き拭きしていたのでした。私たち母子《おやこ》は先生のところのお茶|貰《もら》いになぞなりたくはありません。」
葉子は途切れ途切れに言って、激情に体を戦《おのの》かせていた。庸三は驚き傍《そば》へ寄って、宥《なだ》めの言葉をかけたが、効《かい》がなかった。起きあがったと見ると、次の間で箪笥《たんす》の前に立って何かがたがたやっていたが、そのまま瑠美子を引っ張って、旋風のごとく玄関へ飛び出した。
少し狼狽《ろうばい》して、庸三は出て見たが、「二度と己《おれ》の家の閾《しきい》を跨《また》ぐな」と尖《とが》った声を浴びせかけて、ぴしゃりと障子を締め切った。
やがて学校を退《ひ》けて来た咲子が、部屋から部屋を捜しあるいた果てに、父の書斎へ来て寂しそうに立っていた。庸三は何かせいせいした感じでもあったが、寂しさが次第に胸に這《は》いひろがって来た。彼女の憤りを爆発させた今朝の態度の不覚を悔いてもいた。
「おばちゃんは?」
「おばちゃんは出て行った。」
「瑠美子ちゃんも?」
「そう。」
「もう帰ってこ
前へ
次へ
全218ページ中38ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
徳田 秋声 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング