女は再三押し返すのだったが、庸三の引込みのつかないことに気がつくと、
「それじゃ戴いときますわ。――思いがけないお金ですから、このお金で私質へ入っているものを請け出したいと思うんですけれど。」
「いいとも。君もそういうことを知っているのか。」
「そうですとも。松川と田端《たばた》に世帯《しょたい》をもっている時分は、それはひどい困り方だったのよ、松川は職を捜して、毎日出歩いてばかりいるし、私は私で原稿は物にならないし、映画女優にでもなろうかと思って、せっかく話をきめたには決めたけれど、いろいろ話をきいてみると、厭気《いやき》が差して……第一松川がいやな顔をするもんで……。」
 葉子は出て行ったが、間もなくタキシイにでも載せて来たものらしく、息をはずませながら一包みの衣裳《いしょう》を小女と二人で運びこんで来た。派手な晴着や帯や長襦袢《ながじゅばん》がそこへ拡《ひろ》げられた。
「私これ一枚、大変失礼ですけれど、もしお気持わるくなかったら、お嬢さんに着ていただきたいと思うんですけれど。」
「そうね。学生で、まだ何もないから、いいだろう。」
 二人は間もなく宿を出て、葉子自身は花模様の小浜の小袖《こそで》を一枚、風呂敷《ふろしき》に包んで抱えて庸三の家へ帰って来た。彼女はなるべく金の問題から遠ざかっていたかった。庸三との附き合いを、生活問題にまで引き入れることは、何かにつけて体を縛られることにもなるし、庸三の気持を深入りさせることにもなるので、それは避けたいと思っていたのであったが、彼の気持はすっかり彼女の言葉どおりに、葉子に掩《おお》いかぶさっていた。

      五

 葉子はそのころ庸三の娘たちをつれて、三丁目先きの名代の糸屋で、好みの毛糸を買って来て、栄子のためにスウェタアを編みはじめていたが、そんな時の彼女は子供たちのためにまことに好い友達であったが、彼女が庸三の傍《そば》へ来ていたり、一緒に外出したりすると、子供たちは寂しがった。そのころ加世子の死んだあと、独り残って勝手元を見てくれていた庸三の姉は、すでに田舎《いなか》へ帰っていたし、葬式の前後働いていてくれた加世子の弟娵《おとうとよめ》も、いつとなし遠ざかることになっていた。加世子にはやくざな弟が二人もあった。高等教育を受けて、年の若い割に由緒《ゆいしょ》のある大きな寺に納まっている末の弟を除くほか、何
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