時よりも、その方がかえって庸三の神経に、いくらかの余裕と和《なご》みが与えられるのであった。二人きりの部屋が息詰まるように退屈になって来ると、彼はまた環境の変化を求めないわけにいかなかった。綺麗《きれい》な風呂場《ふろば》や化粧室などの設備のあるところとか、日本風の落着きのいい部屋や庭のあるところとか、世間から隔絶されたひそやかな場所に潜んでいることが、家庭人であった彼の習性をすっかり変えてしまっていた。寄り場のない霊を、彼は辛うじてその刹那々々《せつなせつな》の宿りに落ちつけようとしたが、それは単に気分の一時の変化を楽しむだけで、どこへ行っても寂寥《せきりょう》が彼を待っているにすぎなかった。
 あるときも、体の縮まるような渋谷の葉子の家を脱《のが》れて、市外のそうした家の一つにいた。渋谷からそう遠くもなかったし、二三回来たこともあって、葉子をひどく好いている女中とも馴染《なじみ》になっていた。
 ある涼しい夕ベ、その部屋に閉じ籠《こ》められていることに、ようやく憂鬱《ゆううつ》を感じはじめていたところで、葉子の充《み》ち足りない気分がまたしても険しくなって来た。折にふれて感情の小鬩合《こぜりあ》いが起こった。庸三からいうと、すでに久しく膠《にかわ》の利かなくなったような二人の間も、わずかに文学というものによって、つまり彼女の作家的野心というようなものによって繋《つな》がれているにすぎず、それさえ思い切れば、彼女はこの恋愛の苦しい擬装からいつでも解放されうるわけであったが、葉子から見れば、この世間しらずの老作家は、臆面《おくめん》もなく人にのしかかって来る、大きな駄々児《だだっこ》であった。彼女は若い愛人を持って行く何の成算もなく、現実の生活について、何ら明確な方針もなしに、徒《いたず》らに恋愛の泥濘《でいねい》に悶※[#「※」は「足へん+宛」、第3水準1−92−36、287−上−14]《もが》いているにすぎない彼に絶望していたが、下手に背《そむ》けば、逗子事件の失敗を繰り返すにすぎないのであった。
 庸三はここを切りあげようと思って、勘定を払って車の来るのを待っていたが、二人の気分には今にも暴風雨になりそうな低気圧が来ていた。
 車を待っているあいだに、彼は葉子が女中と縁端《えんばな》で立話をしている隙《すき》にふと思いついて、小夜子の家へ電話をかけてみた。別に
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