だんですがね。」
「ふむ、やっぱりね。」
庸三は来るべきものが来たのだと思った。
「じゃあ……今何時だい。汽車はまだあるね。」
「あります。」
「今夜のうちに話をつけてしまおう。これから行こう。」
庸三は性急《せっかち》に言い出した。
最近よく往復することになった横須賀《よこすか》行きのこの列車は、葉子と同伴の時も一人の時も、庸三にとって決して楽しいものではなかったが、今夜も彼はどこかせいせいしたような気分の底に、一脈の寂しさを包みきれないで、帯同した庸太郎と一人の青年と並んで暗黙《だんまり》でクッションに腰かけていた。乗客はいくらもなかった。
夜更《よふけ》の逗子の町は閑寂《ひっそり》していた。彼は、この挙動が何か心の余裕をもっているように見えて、その実|仮借《かしゃく》のないあさましいものだことに十分気がついていたが、思いのほか町の更けているのを見ると、一層それがはっきりするようで、内心来たことを悔いる心にもなっていた。むしろホテルで一泊して、明日のことにでもしようかと思ったのだったが、一旦行動に移された彼の荒い感情を抑制することは困難であった。
「お前はホテルで一部屋取って待っておいで。」
庸三は少し手前で自動車をおりてから、門の前まで来ると、庸太郎と青年|権藤《ごんどう》に言った。門にさわってみると、戸はもう鎖《とざ》されていた。庸三は近所を憚《はばか》るように二三度|叩《たた》いてみたが返辞がないので少し苛々《いらいら》して来た。彼はいきなり戸の梁《はり》に手をかけると、器械体操で習練した身軽さで跳《と》びあがり、一跨《ひとまた》ぎに跨いで用心ぶかく内側へおりて行った。そんな早業《はやわざ》ができようとは今の今まで想像もしなかったし、しようとも思っていなかった。
「おい、おい。」
庸三は暗い茶の間の窓の下から、袖垣《そでがき》で仕切られた庭の方へまわって、縁側の板戸ぎわに身を寄せて、そっと声をかけたが、やがて、葉子の声がして板戸が一枚繰りあけられた。そこから庸三は座敷へあがった。
「こんな遅くにやって来て失敬。」
庸三はどかりと坐って、部屋を見まわしたが、別にかわったこともなかった。園田が今までそこらにいたらしい形迹《けいせき》もなかった。湯殿と物置きと台所口へ通じる廊下があるとしても、そこまで考える必要はなかった。
葉子はどこか面窶《お
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