それは去年のことだったが、同じアメリカの舞踊団がやって来て、その時も庸三は庸太郎に前売切符を買わせて、座席を三人並べて観《み》たものだったが、新調のシャルムウズの羽織などを着込んだ葉子が一番奥の座席で、隣りが庸太郎、それから庸三という順序で、オーケストラ・ボックス間近に陣取っていた。開演にはまだ時間が早く、下も二階も座席が所々|疎《まば》らに塞《ふさ》がっているきりであった。黄昏《たそがれ》に似た薄暗さの底に、三人はしばらくプログラムを見ていたが、葉子は中に庸太郎という隔てのあるのを牴牾《もどか》しがるようなふうもしていた。
「出よう。」
庸三が煙草《たばこ》をふかしに廊下へ出ると、二人も続いて出た。震災のとき、やっと火を消しとめたこの洋風の劇場は、そのころようやく新装が仕揚がったばかりで、前の古典的な装飾が、ぐっと瀟洒《しょうしゃ》なものになっていた。三人は婦人休憩室へ入って、赤い縞《しま》の壁紙などを見まわしていたが、ふと庸太郎が父に声かけた。
「二階のホール御覧になりましたか。」
「さあ、どうだったかしら。」
「それあ綺麗《きれい》ですよ。ここではあすこの趣味が一番いい。」
「そう、見たい。」
葉子は甘えるように言った。
「行ってみませんか。」
すると葉子も行きかけて、
「先生は? いらっしゃらない。」
「いいや、見てくるといい。」
庸三は少し尖《とが》っていたが、やはりじっとしていられない質《たち》で、二人の影が階上へ消えてから、廊下をぶらぶら歩きはじめた。入口のホールへ出てみると、美々しいドレスの外人も二組三組そこここに立話をしていたが、まだそんなに込んでもいなかった。「私をもっていることに十分誇りをもっていて下さい」とでも言いそうな葉子と二人きりで、晴れがましい劇場の廊下など押し歩くのが気恥ずかしく、大抵の場合子供を加担させて擬勢するのが彼の手だったが、子供に委《ま》かしきりにしておくのも何か不安であった。わざと危険に曝《さら》しながら、心は穏やかではなかった。
ちょうど知った顔もそこに見えて、彼は円形のクションに並んでかけながら、しばらく世間話をしていた。
「君は実に羨《うらや》ましいよ、若い綺麗な恋人なんかもって。」
いつも剽軽《ひょうきん》そうなその友達にそう言われて、庸三は寂しそうにうつむいた。
それからまた一人二人の仲間にも逢って
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