洋服に制帽を冠《かぶ》った七八つの彼を引っ張って、到頭|千住《せんじゅ》まで歩かせてしまった結果、子供はその晩から九度もの熱を出して、黒い煤《すす》のようなものを吐くようになった。
「それあ少し乱暴でしたね。」
 庸三は小児科の先生に嗤《わら》われたが、子供をあまりいろいろな場所へ連れ行くのはどうかと、人に警告されたこともあった。しかし後に銀ぶらや喫茶店や、音楽堂入りを、かえってこの子供から教わるようになったころには、彼も自分の教育方法が、全然盲目的な愛でしかなかったことに気がついて、しばしば子供の日常に神経を苛立《いらだ》たせなければならなかった。それに大抵年に一度か二度、胃腸の疾患とか、扁桃腺《へんとうせん》とかで倒れるのが例で、中学から上の学校へ入るのに、二年もつづいて試験の当日にわかに高熱を出して、自動車で帰って来たりして、つい入学がおくれ、その結果中学時代に持っていた敬虔《けいけん》な学生気分にも、いつか懈怠《げたい》が来ないわけに行かなかった。ここにも若ものの運命を狂わせる試験地獄の祟《たた》りがあったわけだが、それが庸三の不断の悩みでもあった。
 けれど今になってみると、彼はむしろ自身の足跡を、ある程度彼にも知らせておいていいような気分もした。それがもし恋愛といったような特殊の場合であるとしても、老年の彼以上にも適当な批判を下しうるだけの、近代人相応の感覚や情操に事欠くこともあるまい――と、そう明瞭《めいりょう》には考えなかったにしても、少なくもそういった甘やかしい感情はもっていた。ルウズといえば庸三ほどルウズな頭脳の持主も珍らしかった。
 ここは水に臨んでいるというだけでも、部屋へ入った瞬間、だれでもちょっと埃《ほこり》っぽい巷《ちまた》から遠ざかった気分になるのであったが、庸三たちには格別身分不相応というほどの構えでもなく、文学にもいくらか色気のある小夜子を相手に無駄口をききながら、手軽に食事などしていると、葉子事件に絡《から》む苦難が、いくらか紛らせるのであった。
「いつかも伺ったけれど、小説てそんなにむずかしいもんですの。」
 小夜子はこのごろも書いたとみえて、原稿|挟《ばさ》みを持ち出して来て、書き散らしの小説を引っくらかえしていたが、庸三はこの女は書く方ではなくて、書かれる方だと思っていたので、
「やっぱり五年十年と年期を入れないことには。
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