たは壁の方をむいて少しうとうとしたかと思うと、目を開いたりする彼女の傍《そば》にいるのが、次第に憂鬱《ゆううつ》になって来た。
 ある晩方も、庸三はピンセットを使ってから、風呂《ふろ》へ入って、侘《わび》しげな電燈の下で食卓の前にすわった。葉子は傍に熱っぽい目をして臥《ふ》せっていた。頬《ほお》もぽっと紅《あか》くなっていた。こうなると彼女は母親から来るらしく見せて、実は田舎《いなか》の秋本に送らせた金で、彼と一緒に温泉へ来ていることも忘れて、平気でいるらしい庸三の顔さえ忌々しくなるのではないかと、彼は反射的に感じるのであったが、またそう僻《ひが》んで考えることもないのだという気もして、女中が目の前に並べる料理を眺めていた。
「何にも食べない。」
 彼女は微《かす》かに目で食べないと答えたらしかったが、庸三が心持|不味《まず》そうに食事をしていると、葉子はひりひりした痛みを感ずるらしく、細い呻吟声《うめきごえ》を立て、顔をしかめた。彼は硬《かた》い表情をして別のことを考えていたので、振り向きもしなかった。
「人がこんなに苦しんでいるのに、平気で御飯たべられるなんて、何とそれが老大家なの。」
 庸三はぴりッとした。そしてかっとなった。彼は食事もそこそこに食卓を離れて、散らかった本や原稿紙と一緒に着替えをたたんで鞄《かばん》に始末をすると、※[#「※」は「糸」+「褞」のつくり、第3水準1−90−18、202−上−9]袍《どてら》をぬいで支度《したく》をした。
「おれも君の看護に来たんじゃないんだ。いい迷惑だ。独りでやるがいいんだ。」
 庸三はぷりぷりして、電話で汽車の時間をきくと、煙草《たばこ》にマッチを摺《す》りつけた。番頭がやって来て、
「お帰りでございますか。」
「ちょっと用もできたから。」
 番頭は急げば最終のに間に合うがと、少し首を傾《かし》げていたが、庸三はじっとしてもいられなかった。自動車の爆音がしたので、彼はインバネスを着て、あたふたと部屋を出たが、車が走りだしてから、彼は何か後ろ髪を引かれる感じで、この場の気まずさを十分知りながらも、汽車に間に合わないことを半ば心に念じた。熱海《あたみ》へでもドライブしようかとも考え、家《うち》へ帰って書斎に寝た方が楽しいようにも感じた。
 石塊《いしころ》の多い道を、車はガタガタと揺れながらスピイドを出した。庸三は時
前へ 次へ
全218ページ中77ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
徳田 秋声 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング