、父がもうゐなくなつてゐたし、多くの客の中でどこへ落着かうといふ当もなかつたので……勿論西の方の産れで、可也《かなり》な締りやであつたから、倉敷を出して質屋へあづけてある衣類なども少くなかつたし、今少し稼ぎためようと云ふ気もあつたので、楼主と特別の約束で、いつも二三枚目どころで相変らず気に向いたやうな客を取つてゐた。
その客のなかに、或私立大学の学生が一人あつた。彼は揉《も》みあげを短く刈つて、女の羨《うらやま》しがるほどの、癖のない、たつぷりした長い髪を、いつも油で後ろへ撫であげ、いかに田舎《ゐなか》の家がゆつたりした財産家で、また如何《いか》に母親が深い慈愛を彼にもつてゐるかと云ふことを語つてゐるやうな、贅沢《ぜいたく》でも華美でもないが、どこか奥ゆかしい風をしてゐた。勿論年は彼女より一つ二つ少いと云ふに過ぎなかつたが、各階級の数限りない男に接して来た彼女の目から見れば、それはいかにも乳くさい、坊つちやん/\した幼ない青年に過ぎなかつた。
初めて来たのは、花時分であつた。どこか花見の帰りにでも気粉《きまぐ》れに舞込んだものらしく、二人ばかりの友達と一緒に上つて来たのであつたが、
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