や丼を台所へ持出した。そこへ電話のベルが鳴つた。咲子は押入の前にある電話機に駈けよつて、畳につく這《ば》ひながら、悪戯《いたづら》さうな表情で受話機を耳のところへ持つて行つた。
「駄目よ、駄目よ。」
「むゝん、ちよつと聞かさして……。」
 圭子は微笑《ほゝゑ》ましげに見てゐたが、まごついてゐるのに気がつくと、急いで受話器を取りあげた。
「何方《どちら》さまでせうか。……はあ有ります。どうも有難とう。」
 圭子は受話器をかけて、
「蝶子さん月の家《や》!」
 手捷《てばし》こく顔直しをした蝶子の仕度が初まると、咲子は圭子と一緒に立ちあがつて、さも自分が悉皆《すつかり》それを心得てゐるもののやうに、「それをぐる/\捲くのね」とか、「今度これでせう」とか言つて、蓙《ござ》のうへに一緒くたに取り出された帯揚を取りあげたりした。
「駄目よ、あんた邪魔つけだわよ。」
 でも咲子はなか/\引込んでゐなかつた。
「あたいお父ちやんに教はつたんだから……。」
「下駄そろへときなさい。」
「母ちやん私も蝶子さんについて行つて可いでせう。」
「さうね、お出先き覚えときなさい。」
 そして仕度が出来あがると、
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