ざこざ》を、六つにしてはまめ/\しすぎるほど細かに話して、もう自分の家へ来たやうに、二階へ上つたり、物干へ出たりして、圭子の後を追つてゐたものだつたが、それも着替へを拵《こしら》へる隙もなく、余り手がかゝるだらうといふことで、帰してしまふと、ちやうど電車通りを越えた高台のところに、其の口入屋があつたので、そこへ還つてゐるあひだ、屡々《しば/\》圭子の家を覗きに来たり何かして、一晩でも泊めると、もうそこに淡い愛着が出て来るのが、切ないやうなものであつたが、今度の咲子にはさういつた哀れつぽいやうなところもなかつた。
「私めそ/\したのより、てきぱきしたの好きなの。それに世話する人も、周旋屋のやうぢやないんです。田舎では県会議員までしたんださうですの。親類が神田であの商売を手広くやつてゐるので、隠居仕事に手伝つてゐるといふ話で、実直さうなをぢさんだわ。」
蓮見はそんなことも聞いてゐたけれど、見て見ると子供には余り好い感じがもてなかつた。
その晩圭子は咲子を風呂へつれて行つて、体を見た。胴と脚の釣合も悪くなかつたし、皮膚も荒い方だとはいへなかつた。圭子は一躍、一人前の子持になつたやうな気がしてゐた。
毎晩そんな時間になると、大抵蜜豆とか、芋の壺焼《つぼやき》とか、鯛焼《たひやき》、葛餅《くずもち》のやうなものを買つて来て食べる癖がついてゐたが、その晩もいくらかメンタルテストの意味で、咲子におでんを買はせにやつた。所を教へると、咲子は悦《よろこ》んで立ちあがつて、台所から手頃の丼《どんぶり》を持出して来て、この子の癖で目をばしばしやりながら、入口へ飛び出した。
「煙草屋のところを左へ曲つて……。」
咲子は振返つて念を押した。
「それから自動の前を通つて右へ行くの。すると左側に黒い暖簾《のれん》に古里庵《こざとあん》と書いた家があるわよ。」
鏡台の前に坐つてゐた抱《かゝ》への一人の蝶子が言ふと、咲子はまた自分の頭脳《あたま》へしつかり詰めこむやうに復習《さら》つてから、下駄を突かけた。
「私はしのだ巻ですよ。知つてる?」
「えゝ、知つてますとも。お父ちやんおでんやだつたんですもの。」
「さうか。駆出して行くんぢやないよ。」
言つてゐるうちに、咲子は駈け出した。
蓮見は首を捻《ひね》つてゐた。
「何うかと思ふね。君あの子をつれて歩くかい。君の子にするんだつたら、もう少し何とかいふ子がありさうなものだ。籍はちよつと見合したら何うかね。後で迷感のかゝるやうなことがあると困りやしないか。」
蓮見も別に咲子が好きとか嫌ひとかいふのではなかつた。母の子で育てれば好い子になるかも知れないが、ならないかも知れない。好いとか悪いとかいふことも色々で、単純にはいへない。抱へのうちに顔や姿は綺麗だが、物事を単純に考へがちな圭子がじれつたがるほど不決断で、お座敷の取做《とりな》しなどについて、何か言つて聞かせても、いつも俛《うつむ》いて何時までも黙つてゐる子が一人あるのに、かね/″\業《ごふ》を煮やしてゐた矢先きなので、咲子のてきぱきしたのが、直ぐ気に入つてしまつた。この子だつたら余り何かに世話を焼かせるやうなことはあるまいと思つた。圭子は一直線に進むやうな質《たち》の女で、そのために後で悔いるやうなことが出来ても、それに拘《こだ》はつてゐるのが嫌ひだつた。金を使ひすぎたとか、着物を買ひ損《そこな》つたといふやうな事があつても、何時までもそれを気にするやうなことはなかつた。
「でも世のなかにそんな好い子供がざらにある訳のものぢやないでせう。それだつたら貴方探して来てちやうだいよ。」
圭子が気色《けしき》ばんで言ふので、蓮見も、「ぢや、君の好いやうにするさ」と言つて口を緘《つぐ》んだのだつたが、彼とても別に定見のありやうもなかつた。
皆でおでんを食べはじめた。咲子は誰よりも楽しさうに食べたが、そんなにがつ/\してゐるのでもなかつた。
「あんたとこのおでんと、孰《どつち》がおいしい?」蝶子がきくと、
「うゝん、お父ちやんずつと商売に出ないんだもの。だからね、家ぢや御飯のないこともあるの。馬鈴薯をふかして食べたり、糠《ぬか》にお醤油ついで掻きまはして食べたりした。それにお父ちやん、お酒|呑《の》まないと何も出来ないの。元気がなくなると、お酒を呑んぢやおでん売りに行き行きしたもんだけど。」
咲子は「えへゝ」と虫歯を剥《む》き出して笑つた。
圭子は十二三歳の時分、父が大怪我をしてから、貧乏の味はしみ/″\嘗《な》めさせられた方だし、蝶子《てふこ》も怠けものの洋服屋を父にもつて、幼い時分からかうして商売屋の冷飯《ひやめし》を食つて来たので、それを笑ふ気にもなれなかつた。
咲子は長い舌を出して、ぺろ/\小皿のお汁まで舐《な》めて、きり/\した調子で皿
前へ
次へ
全9ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
徳田 秋声 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング