チビの魂
徳田秋声
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)亦《また》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)兎に角|圭子《けいこ》は
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)けんどん[#「けんどん」に傍点]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)ぽちや/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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彼女も亦《また》人並みに――或ひはそれ以上に本能的な母性愛をもつてゐた。間歇《かんけつ》的ではあつたが、五年も六年も商売をしてゐたお蔭で、妊娠の可能率が少ないだけに、尚更《なほさ》ら何か奇蹟《きせき》のやうに思へる人の妊娠が羨《うらや》ましかつたり、子持の女が、子をもつた経験のないものには迚《とて》も想像できない幸福ものであるやうに思へたりしてならないのであつた。子供といへば豕《ぶた》の仔でも好きな彼女であつたので、散歩の途中犬屋の店で犬の子が目につくと、何をおいても側へ寄つて、本当に可愛ゆくて為方《しかた》がないやうに見てゐるのだし、町の店屋などで綺麗な猫が見つかると、そこで余計な買ひものをしたりして、それは其の場きりのものだけれど、その子供を貰ふ予約をしたりするくらゐだつたから、母親に手を引かれて行く子供を看《み》ると、別にそれが綺麗な子でなくても、ぽちや/\肥つてさへゐれば、蓮見《はすみ》に何とか話しかけて振顧《ふりかへ》るのであつた。
「あたい一度子供産んでみたい。」
「いや、真平《まつぴら》だ。」
「療治すれば出来るといふわ、森元さんが……。」
「その時は相手をかへなけあ。」
子供が産めない躯《からだ》だといつてゐた蓮見の死んだ妻は、こんなに沢山の子供を次ぎ次ぎに産みのこして、大きくなつてしまへば、経済や何かの問題は兎《と》に角《かく》として、感情のうへでは別に何でもないやうなものの、人の赤ん坊を見てさへ、彼はうんざりするのであつた。それに生きてゐるうちに、子供の一人々々は何とか片が着かなければならないのが、普通人間の本能であるらしかつた。子供の運命が自身の寿命と生活力の届かないところへ喰《は》み出ることは、誰しも苦痛であつた。母性愛はそれに比べると動物的なものらしいのであつた。
兎に角|圭子《けいこ》は一人の子供をもらふことにしてしまつた。それはちやうど猫の仔《こ》か何かを貰ふやうに、いとも手軽なものであつた。
或日の夜彼はポオトフォリオをさげて入つて行くと、その女の子が皆んなと瀬戸の火鉢に当つてゐた。年は十だといふのであつた。色の浅黒い――と言つても余り光沢のある皮膚ではなかつた。細い額に髪がふさ/\垂れさがつて、頬が脹《ふく》らんでゐるので、ちよつと四角張つたやうな輪廓だが、鼻梁《びりやう》が削《そ》げて、唇が厚手に出来てゐる外は、別に大して手落ちはなかつたし、ぱつちりはしないが、目も切れ長で、感じは悪くなかつた。虫歯の歯並が悪い口元に笑ふと愛嬌《あいけう》があつた。どこか男の子のやうで、少ししや嗄《が》れたやうな声も大人のやうに太かつた。余り小綺麗でないメリンスの綿入れに、なよ/\の兵児帯《へこおび》をしめて、躯《からだ》も小さいことはなかつた。
「今までどこにゐたの。」
「あたい? お父ちやんとこにゐたんです。」
「お父ちやん何してゐるんだい。」
「お父ちやんね、おでんやしてんだけど、体が悪いんです。」
「お母さんは?」
「お母ちやん私の三つの時死んだんです。」
蓮見は昨日圭子から聞いて、この子の生立や環境について一ト通りの予備知識をもつてゐたが、身装《みなり》や何かに裏町の貧民窟らしい匂ひはしてゐても、悪怯《わるび》れたところや、萎《いぢ》けたところは少しもなかつた。寧《むし》ろその反対に、大人の前に坐つてゐても、羞《はづ》かしがりも、怖れもしなかつた。圭子の話によると、咲子といふこの子供の父親は、長いあひだ治る見込みのない腎臓《じんざう》や心臓の病気で、寝たり起きたりしてゐた。商売にも出られなくなつて、間代や何かうんと溜まつてゐた。それも整理しなければならないし、何うせ死ぬなら生れた田舎《ゐなか》で死んだ方が安心だから、いくらかの金をもつて上州の兄のところへ帰りたい。それで咲子をどこか好い人に籍ごとおいて行きたいといふのであつた。
圭子はその前にも近所の人の口入れで、二人ばかり子供を見たことがあつた。一人は籍がないので、蓮見に見せないうちに還《かへ》したが、それが近所の待合に貰はれて、今でも外で圭子の姿を見ると、駈《か》けつけて来て、何か話しかけるし、今一人は月島の活版屋の子だつたが、其の家の地理や隣り近所の有様や、又は小さい子供を多勢もつた親達の夫婦喧嘩をして、瀬戸物や何かを打壊す時の紛紜《い
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