らしいものがなく、何か翫弄《おもちや》にされてゐるやうな寂《さび》しさと侮辱とを感じてゐたので、つい中途から遊び上手の芝居ものの手にかゝつて、その関係が震災の後までも続いたくらゐなので、歌舞伎の世界の空気や俳優たちの生活も知つてゐたから、芝居も万更《まんざ》ら嫌ひではなかつたけれど、銀幕に吸ひついたり飜訳小説に読み耽《ふけ》つてゐる時ほど、気持に直《ぴつた》り来なかつた。
 すると未《ま》だ世帯の持ち立ての、晴れて対《つゐ》で歩くのが嬉しい頃、明治座を見物した時のこと、中幕の「毛抜」がすんで、食堂で西洋料理を食べるまでは可かつたが、食堂を出た頃から晴代は兎角《とかく》木山の姿を見失ひがちで、二番目の綺堂物《きだうもの》の開幕のベルが鳴りわたつたところで、多分木山がもう座席で待つてゐるだらうと、一人で買つたお土産《みやげ》の包みをかゝへて観覧席へ入つて来たが、木山はまだ席に就いてはゐなかつた。晴代もそんな事はさう気にならない質《たち》なので、ひよい/\出歩くいつもの癖だくらゐに思つてゐたが、余りゆつくりなので気にかゝり出した。木山はその一幕のあひだ到頭《たうとう》入つて来なかつたが、さう
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