嵩《かう》じて来ない訳に行かなかつた。それも空虚な時間を過しかねる彼の気弱さからだと思はれたが、夫婦生活の憂欝《いううつ》と倦怠《けんたい》から解放された気安さだとも解釈されない事もなかつた。
 晴代は朋輩の一人の与瀬二三子が大したことはないが、株屋の手代をペトロンにもつて木挽町《こびきちやう》でアパアト住ひをしてゐたが、その部屋へも遊びに行つた。部屋には人形や玩具や、小型の三面鏡、気取つたクション、小綺麗な茶箪笥《ちやだんす》などがちま/\と飾られて、晴代も可憐な其の愛の巣を、ちよつと好いなと思つたものだが、それよりも、時間になると大抵その男がやつて来て、サラダにビイルくらゐ取つて、帰りはいつも一緒なのが、笑へない光景だと思つた。
「一度来てよ。」
 言つてみたところで、極り悪がりやの木山が、あの近所へでも来てくれる筈もなかつたし、もうそんな甘い感じもしなかつた。
 或る晩晴代は腹が痛んだので、朋輩に頼んで一時間ばかり早く帰つて来た。腹の痛みは途中から薄らいで来たが、それも偶《たま》には好いと思つた。晴代はコックやバアテンダアなどにも特に親しまれてゐて、冷えから来る腹痛みにバアテンダ
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