と直ぐ、口も利かずに蒲団を被《かぶ》つて寝てしまつた。
四
伝票の書き方、客の扱ひ方、各種の洋酒や料理の名など、一日二日は馴れた女給が教へてくれ、番も自分のに割り込ませるやうにしてくれた。
遣つてみると、古い仕来《しきた》りがないだけに、何か頼りない感じだつたが、あの世界のやうに、抱へ主や、出先きのお神、女中といつた大姑小姑《おおしうとこじうと》がゐないのは、成程新しい職業の自由さに違ひないのだが、それだけに今まで一定の軌道のうへで仕事をしてゐたものに取つては気骨の折れるところもあつた。勿論あの世界の空気にも、今以つて昵《なじ》み切れないものがあり、商売の型にはまるには、余程自己を殺さなければならなかつた。何よりも体を汚《けが》さなければならないのが辛かつた。商売と思つて目を瞑《つぶ》つても瞑り切れないものがあつた。疳性《かんしやう》に洗つても洗つても、洗ひ切れない汚涜《をどく》がしみついてゐるやうな感じだつた。その思ひから解放されるだけでも助かると思つたが、チップの分配など見ると、それも何だか浅猿《あさま》しくて、貞操の取引きが、露骨な直接《ぢか》交渉で行はれるのも
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