言ひながら其れきりになつてしまつたが、考へてみると憎《にく》めないところもあつた。晴代は父のボオナスを当てにする訳ではなかつたけれど、長いあひだの犠牲を考へると、今夜のやうな場合、少しくらゐ用立ててもらつてもいゝと思つたので、戸締りをして家を出たが、途中で罪のない木山を思ひ出して、独《ひと》りで微笑《ほゝゑ》んでゐた。
「金さへあれば私達もさう不幸ではない筈《はず》なのに。」
あわたゞしい電車の吊皮に垂下《ぶらさが》りながら、晴代はつくづく思ふのだつた。それもさう大した慾望ではなかつた。月々の支払が満足に出来て、月に二三回|暢《のん》びりした気持で映画を見るとか、旅行するとか、その位の余裕があればそれで十分だつた。
錦糸町《きんしちやう》の家へあがると、戸がしまつて皆《みん》な寝てゐたが、母が起きてくれた。母は長火鉢の火を掻きたてて、
「何《ど》うしたんだよ、今頃……。」
父親も後ろ向きになつて傍に寝てゐた。
商売に出てゐる間、病身な妹も多かつたので、月々百円から百五十円くらゐは貢《みつ》ぎつゞけて来た晴代ではあつたが、たとひ十円でも金の無心は言ひ出しにくかつた。
晴代はくだ
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