《がまぐち》には、もう幾らの金もなかつた。ラヂオとか新聞とか、電燈|瓦斯《ガス》、薪炭などの小払ひは何うにかすましたのだつたが、明日は年始に来る客もあるので、その用意も必要であつた。彼女は曾つてのお座敷着や帯などにも、いくらか手がついてゐたが、それだけは極力防止してゐた。それを当てにしてゐた木山が不服さうに言ふので、晴代も木山の足腰のないことを責めて、つい夫婦喧嘩にまで爆発したのも最近のことであつた。
 木山は口の利《き》き方《かた》の鉄火《てつくわ》になつて来る晴代に疳癪《かんしやく》を起して、いきなり手を振りあげた。
 晴代は所詮《しよせん》駄目だといふ気がしたが、それも二人の大きな亀裂《ひゞ》であつた。
 夜がふけるに従つて、晴代は心配になつて来た。自転車のベルの音がする度に、耳を聳《そばだて》てゐたが、除夜の鐘が鳴り出しても、木山は帰つて来なかつた。晴代はぢつとしてゐられなくなつた。そんな間にも、いつか木山が仲間が山へ行くのだと、ちやらつぽ[#「ちやらつぽ」に傍点]こを言つて、朝日靴などもつて出かけて行つたが、それを待合に忘れて来たものらしく、靴をおいて来た宿へ葉書を出す出すと
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