いって、少し遅くまで寝ているようなことがあると、主婦のおとらは直《じき》に気荒く罵った。
「おいおい、この忙《せわ》しいのに寝ている奴があるかよ。旧《もと》を考えてみろ」
 おとらは作の隠れて寝ている物置のような汚いその部屋を覗込《のぞきこ》みながら毎時《いつ》ものお定例《きまり》を言って呶鳴《どな》った。甲走《かんばし》ったその声が、彼の脳天までぴんと響いた、作は主人の兄にあたるやくざ[#「やくざ」に傍点]者と、どこのものともしれぬ旅芸人の女との間《なか》にできた子供であった。彼の父親は賭博《とばく》や女に身上《しんしょう》を入揚《いれあ》げて、その頃から弟の厄介ものであったが、或時身寄を頼って、上州の方へ稼《かせ》ぎに行っていたおりにその女に引かかって、それから乞食のように零落《おちぶ》れて、間もなくまた二人でこの町へ復《かえ》って来た。その時身重であったその女が、作を産《うみ》おとしてから程なく、子供を弟の家に置去《おきざり》に、どこともなく旅へ出て行った。男が病気で死んだと云う報知《しらせ》が、木更津《きさらず》の方から来たのは、それから二三年も経《た》ってからであった。
 お島はおとらが、その頃のことを何かのおりには作に言聞かせているのを善く聞いた。おとらは兄夫婦が、汽車にも得乗《えの》らず、夏の暑い日と、野原の荒い風に焼けやつれた黝《くろ》い顔をして、疲れきった足を引きずりながら這込《はいこ》んで来た光景を、口癖のように作に語って聞かせた。少しでも怠けたり、ずるけたりするとそれを持出した。
「あの衆《しゅ》と一緒だったら、お前だって今頃は乞食でもしていたろうよ。それでも生みの親が恋しいと思うなら、いつだって行くがいい」
 作は親のことを言出されると、時々ぽろぽろ涙を流していたものだが、終《しまい》にはえへへと笑って聞いていた。
 作はそんなに醜い男ではなかったが、いじけて育ったのと、発育|盛《さかり》を劇《はげ》しい労働に苦使《こきつか》われて営養が不十分であったので、皮膚の色沢《いろつや》が悪く、青春期に達しても、ばさばさしたような目に潤いがなかった。主人に吩咐《いいつ》かって、雨降りに学校へ迎えに行ったり、宵に遊びほうけて、何時までも近所に姿のみえないおりなどは、遠くまで捜しにいったりして、負《おぶ》ったり抱いたりして来たお島の、手足や髪の見ちがえるほど美しく肉づき伸びて行くのが物希《ものめずら》しくふと彼の目に映った。たっぷりしたその髪を島田に結って、なまめかしい八つ口から、むっちりした肱《ひじ》を見せながら、襷《たすき》がけで働いているお島の姿が、長いあいだ彼の心を苦しめて来た、彼女に対する淡い嫉妬《しっと》をさえ、吸取るように拭《ぬぐ》ってしまった。それまで彼は歴々《れっき》とした生みの親のある、家の後取娘として、何かにつけておとらから衒《ひけ》らかす様に、隔てをおかれるお島を、詛《のろ》わしくも思っていた。

     五

 お島が作を一層嫌って、侮蔑《ぶべつ》するようになったのもその頃からであった。
 蒸暑い夏の或真夜中に、お島はそこらを開放《あけはな》して、蚊帳《かや》のなかで寝苦しい体を持余《もてあま》していたことがあった。酸《す》っぱいような蚊の唸声《うなりごえ》が夢現《ゆめうつつ》のような彼女のいらいらしい心を責苛《せめさいな》むように耳についた。その時ふとお島の目を脅《おびや》かしたのは、蚊帳のそとから覗《のぞ》いている作の蒼白い顔であった。
「莫迦《ばか》、阿母《おっか》さんに言告《いいつ》けてやるぞ」
 お島は高い調子に叫んだ。それで作はのそのそと出ていったが、それまで何の気もなしに見ていたそれと同じような作の挙動が、その時お島の心に一々意味をもって来た。お島は劇しい侮蔑を感じた。或時は野良仕事をしている時につけ廻されたり、或時は湯殿にいる自分の体に見入っている彼の姿を見つけたりした。
 お島はそれ以来、作の顔を見るのも胸が悪かった。そして養父から、善く働く作を自分の婿に択《えら》ぼうとしているらしい意嚮《いこう》を洩《もら》されたときに、彼女は体が竦《すく》むほど厭《いや》な気持がした。しかし養父のその考えが、段々|分明《はっきり》して来たとき、お島の心は、自《おのずか》ら生みの親の家の方へ嚮《む》いていった。
「何しろ作は己《おれ》の血筋のものだから、同じ継《つが》せるなら、あれに後を取らせた方が道だ」
 養父は時おり妻のおとらと、その事を相談しているらしかったが、お島はふとそれを立聞したりなどすると、堪えがたい圧迫を感じた。我儘《わがまま》な反抗心が心に湧返《わきかえ》って来た。
 作の自分を見る目が、段々親しみを加えて来た。彼は出来るだけ打釈《うちと》けた態度で、お島に近づこうとした。畑で桑など摘《つ》んでいると、彼はどんな遠いところで、忙《せわ》しい用事に働いている時でも、彼女を見廻ることを忘れなかった。彼はその頃から、働くことが面白そうであった。叔父夫婦にも従順であった。お島は一層それが不快であった。
 おとらが内々《ないない》お島の婿にしようと企てているらしい或若い男の兄が、その頃おとらのところへ入浸《いりびた》っていた。青柳と云うその男は、その町の開業医として可也《かなり》に顔が売れていたが、或私立学校を卒業したというその弟をも、お島はちょいちょい見かけて知っていた。
 気爽《きさく》で酒のお酌などの巧いおとらは、夫の留守などに訪ねてくる青柳を、よく奥へ通して銚子《ちょうし》のお燗《かん》をしたりしているのを、お島は時々見かけた。一日かかって四十|把《ぱ》の楮《かぞ》を漉《す》くのは、普通|一人前《いちにんまえ》の極度の仕事であったが、おとらは働くとなると、それを八十把も漉くほどの働きものであった。そして人のいい夫を其方退《そっちの》けにして、傭い人を見張ったり、金の貸出方《かしだしかた》や取立方《とりたてかた》に抜目のない頭脳《あたま》を働かしていたが、青柳の顔が見えると、どんな時でも彼女の様子がそわそわしずにはいなかった。
 お島の目にも、愛相《あいそ》のいい青柳の人柄は好ましく思えた。彼は青柳から始終お島坊お島坊と呼びなずけられて来た。最近青柳がいつか養父から借りて、新座敷の造営に費《つか》った金高は、少い額ではなかった。

     六

 お島は作との縁談の、まだ持あがらぬずっと前から、よく養母のおとらに連れられて青柳と一緒に、大師さまやお稲荷《いなり》さまへ出かけたものであった。天性《うまれつき》目性の好くないお島は、いつの頃からこの医者に時々かかっていたか、分明《はっきり》覚えてもいないが、そこにいたお花と云う青柳の姪《めい》にあたる娘とも、遊び友達であった。
 おとらは時には、青柳の家で、お島と対《つい》の着物をお花に拵《こしら》えるために、そこへ反物屋を呼んで、柄《がら》の品評《しなさだめ》をしたりしたが、仕立あがった着物を着せられた二人の娘は、近所の人の目には、双児《ふたご》としかみえなかった。おとらは青柳と大師まいりなどするおりには、初めはお島だけしか連れていかなかったものだが、偶《たま》にはお花をも誘い出した。
 お花という連《つれ》のある時はそうでもなかったが、自分一人のおりには、お島は大人同志からは、全然《まるで》除《の》けものにされていなければならなかった。
「じゃね、小父《おじ》さんと阿母《おっか》さんは、此処《ここ》で一服しているからね。お前は目がわるいんだから能《よ》くお詣《まい》りをしておいで。ゆっくりで可《い》いよ。阿母さんたちはどうせ遊びに来たんだからね。小父さんも折角来たもんだから、お酒の一口も飲まなければ満《つま》らないだろうし、阿母さんだって偶に出るんだからね」
 おとらはそう言って、博多《はかた》と琥珀《こはく》の昼夜帯の間から紙入を取出すと、多分のお賽銭《さいせん》をお島の小さい蟇口《がまぐち》に入れてくれた。そこは大師から一里も手前にある、ある町の料理屋であった。二人はその奥の、母屋《おもや》から橋がかりになっている新築の座敷の方へ落着いてからお島を出してやった。
 それは丁度|初夏《はつなつ》頃の陽気で、肥ったお島は長い野道を歩いて、脊筋《せすじ》が汗ばんでいた。顔にも汗がにじんで、白粉《おしろい》の剥《は》げかかったのを、懐中から鏡を取出して、直したりした。山がかりになっている料理屋の庭には、躑躅《つつじ》が咲乱れて、泉水に大きな緋鯉が絵に描いたように浮いていた。始終働きづめでいるお島は、こんなところへ来て、偶に遊ぶのはそんなに悪い気持もしなかったが、落着のない青柳や養母の目色を候《うかが》うと、何となく気がつまって居辛《いづら》かった。そして小《ちいさ》いおりから母親に媚《こ》びることを学ばされて、そんな事にのみ敏《さと》い心から、自然《ひとりで》に故《ことさ》ら二人に甘えてみせたり、燥《はしゃ》いでみせたりした。
「ええ、可《よ》ござんすとも」
 お島は大きく頷《うなず》いて、威勢よくそこを出ると、急いで大師の方へと歩き出した。
 町には同じような料理屋や、休み茶屋が外にも四五軒目に着いたが、人家を離れると直《すぐ》に田圃《たんぼ》道へ出た。野や森は一面に青々して、空が美しく澄んでいた。白い往来には、大師詣りの人達の姿が、ちらほら見えて、或雑木林の片陰などには、汚い天刑病《てんけいびょう》者が、そこにも此処にも頭を土に摺《すり》つけていた。それらの或者は、お島の迹《あと》から絡《まつ》わり着いて来そうな調子で恵みを強請《ねだ》った。お島はどうかすると、蟇口を開けて、銭を投げつつ急いで通過《とおりす》ぎた。

     七

 曲がりくねった野道を、人の影について辿《たど》って行くと、旋《やが》て大師道へ出て来た。お島はぞろぞろ往来《ゆきき》している人や俥《くるま》の群に交って歩いていったが、本所《ほんじょ》や浅草辺の場末から出て来たらしい男女のなかには、美しく装った令嬢や、意気な内儀《かみ》さんも偶《たま》には目についた。金縁《きんぶち》眼鏡をかけて、細巻《ほそまき》を用意した男もあった。独法師《ひとりぼっち》のお島は、草履や下駄にはねあがる砂埃《すなぼこり》のなかを、人なつかしいような可憐《いじら》しい心持で、ぱっぱと蓮葉《はすは》に足を運んでいた。ほてる脛《はぎ》に絡《まつ》わる長襦袢《ながじゅばん》の、ぽっとりした膚触《はだざわり》が、気持が好かった。今別れて来た養母や青柳のことは直《じき》に忘れていた。
 大師前には、色々の店が軒を並べていた。張子の虎《とら》や起きあがり法師を売っていたり、おこしやぶっ切り[#「ぶっ」に傍点]飴《あめ》を鬻《ひさ》いでいたりした。蠑螺《さざえ》や蛤《はまぐり》なども目についた。山門の上には馬鹿囃《ばかばやし》の音が聞えて、境内にも雑多の店が居並んでいた。お島は久しく見たこともないような、かりん糖や太白飴《たいはくあめ》の店などを眺《なが》めながら本堂の方へあがって行ったが、何処《どこ》も彼処《かしこ》も在郷くさいものばかりなのを、心寂しく思った。お島は母に媚びるためにお守札や災難除のお札などを、こてこて受けることを怠らなかった。
 そこを出てから、お島は野広い境内を、其方《そっち》こっち歩いてみたが、所々に海獣の見せものや、田舎《いなか》廻りの手品師などがいるばかりで、一緒に来た美しい人達の姿もみえなかった。お島は隙《ひま》を潰《つぶ》すために、若い桜の植えつけられた荒れた貧しい遊園地から、墓場までまわって見た。田舎爺《いなかじじい》の加持《かじ》のお水を頂いて飲んでいるところだの、蝋燭《ろうそく》のあがった多くの大師の像のある処の前に彳《たたず》んでみたりした。木立の中には、海軍服を着た痩猿《やせざる》の綱渡《つなわたり》などが、多くの人を集めていた。お島はそこにも暫《しばら》く立とうとしたが、焦立《いらだ》つような気分が、長く足を止《とど》めさせ
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