と、なぜ己《おれ》んとこへ来て挨拶をしねえんだ」養母にささえられながら、疳癪声《かんしゃくごえ》を立てている養父の声が、お島の方へ手に取るように聞えた。
「お前がまたわるいよ」おとらは、寝衣《ねまき》のまま呼つけられて枕頭《まくらもと》に坐っているお島を窘《たしな》めた。
「それに自分の着物を畳みもせずに、脱《ぬぎ》っぱなしで寝て了うなんて、それだから御父さんも、この身上《しんしょう》は譲られないと言うんじゃないか」
 剛情なお島は、到頭|麺棒《めんぼう》で撲《なぐ》られたり足蹴《あしげ》にされたりするまでに、養父の怒を募らせてしまった。

     二十八

 植源《うえげん》という父の仲間うちの隠居の世話で、父や母にやいやい言われて、翌年の春、神田の方の或|鑵詰屋《かんづめや》へ縁着《えんづ》かせられることになったお島は、長いあいだの掛合で、やっと幾分かを養家から受取ることのできた着物や頭髪《あたま》のものを持って、心淋しい婚礼をすまして了った。
 植源の隠居の生れ故郷から出て来て、長いあいだ店でも実直に働き、得意先まわりにも経験を積み、北海道の製造場にも二年|弱《たらず》もいて、
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