お島が不断から目をかけてやっている銀さんと云う年取った車夫が、誰の指図《さしず》とも知れず、俥《くるま》を持って迎いに来たのは、お島たちが漸《やっ》と床に就こうとしている頃であった。
「何だ今時分……」玄関わきの部屋に寝ていたお島は、その声を聞つけると、寝衣《ねまき》に着替えたまま、門の潜《くぐ》りを開けに出たが、盆暮にお島が子供に着物や下駄を買ってくれたり、餅《もち》をついてやったりしていた銀さんは、どうでも今夜中に帰ってくれないと、家の首尾がわるいと言って、門の外に立ったまま動かなかった。
「きっと青柳と御母さんと相談ずくで、寄越したんだよ」お島は一応その事を父親に告げながら笑った。
父親は、お島から養家の色々の事情を聞いて、七分通り諦《あきら》めているようであったが、矢張《やっぱり》このまま引取って了《しま》う気にはなっていなかった。作太郎と表向き夫婦にさえなってくれれば、少しくらいの気儘《きまま》や道楽はしても、大目に見ていようと云ったと云う養母の弱味なども、父親には初耳であった。
「芸人を買おうと情人《おとこ》を拵《こしら》えようとお前の腕ですることなら、些《ちっ》と
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