》んだの揚句に、札がまたその男におちたと聞されたとき、お島は何となく晴がましいような気がせぬでもなかった。彼はその頃通いつつある工場の近くに下宿していて、兄の家にはいなかった。お島はこの正月以来その姿を見たこともなかった。一度自分に附文《つけぶみ》などをしてから、妙に疎々《うとうと》しくなっていたあの男が、婚礼の晩にどんな顔をして来るかと思うと、それが待遠しいようでもあり、不安なようでもあった。
 その日は朝からお島は、気がそわそわしていた。そしてまだ夜露のじとじとしているような畠へ出て、根芋を掘ったきりで、何事にも外の働きはしなかった。畑にはもう刈残された玉蜀黍《とうもろこし》や黍《きび》に、ざわざわした秋風が渡って、囀《さえず》りかわしてゆく渡鳥の群が、晴きった空を遠く飛んで行った。
 午頃《ひるごろ》に頭髪《かみ》が出来ると、自分が今婚礼の式を挙げようとしていることが、一層|分明《はっきり》して来る様であったが、その相手が、十三四の頃から昵《なじ》んで、よく揶揄《からか》われたり何かして来た気象の剽軽《ひょうきん》な青柳の弟に当る男だと思うと、更《あらたま》ったような気分にもなれ
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