取られてからも、気強い母親に疎《うと》まれがちであった。始終めそめそしていたお島は、どうかすると母親から、小さい手に焼火箸《やけひばし》を押しつけられたりした。お島は涙の目で、その火箸を見詰めていながら、剛情にもその手を引込めようとはしなかった。それが一層母親の憎しみを募らせずにはおかなかった。
「この業《ごう》つく張《ばり》め」彼女はじりじりして、そう言って罵《ののし》った。
昔は庄屋であったお島の家は、その頃も界隈の人達から尊敬されていた。祖父が将軍家の出遊《しゅつゆう》のおりの休憩所として、広々した庭を献納したことなどが、家の由緒に立派な光を添えていた。その地面は今でも市民の遊園地として遺《のこ》っている。庭作りとして、高貴の家へ出入していたお島の父親は、彼が一生の瑕《きず》としてお島たちの母親である彼が二度目の妻を、賤《いや》しいところから迎えた。それは彼が、時々酒を飲みに行く、近辺の或安料理屋にいる女の一人であった。彼女は家にいては能《よ》く働いたがその身状《みじょう》を誰も好く言うものはなかった。
お島が今の養家へ貰われて来たのは、渡場《わたしば》でその時行逢った父親の
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