の遊び場所は矢張《やはり》同じお茶屋であったが、お島はお花と一緒に、浅草へ遊びにやって貰ったりした。お島はお花と俥《くるま》で上野の方から浅草へ出て往った。そして観音さまへお詣りをしたり、花屋敷へ入ったりして、※[#「※」は、「日」の下に、「咎」の「人」を「卜」に替えたものを置いた形、第3水準1−85−32に包摂、19−14]《とき》を消した。二人は手を引合って人込のなかを歩いていたが、矢張《やっぱり》心が落着かなかった。
おとらは時とすると、若い青柳の細君をつれだして、東京へ遊びに行くこともあったが、内気らしい細君は、誘わるるままに素直について往った。おとらは往返《いきかえ》りには青柳の家へ寄って、姉か何ぞのように挙動《ふるま》っていたが、細君は心の侮蔑を面《おもて》にも現わさず、物静かに待遇《あしら》っていた。
九
何時《いつ》の頃であったか、多分その翌年頃の夏であったろう、その年|重《おも》にお島の手に委《まか》されてあった、僅《わずか》二枚ばかりの蚕が、上蔟《じょうぞく》するに間《ま》のない或日、養父とごたごたした物言《ものいい》の揚句《あげく》、養母は着物な
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