りませんか。可愛がっておあげなさいまし。私みたような我儘《わがまま》ものはとても駄目です」
 お島はそう言って、茶《ちゃ》の室《ま》を通って工場の方へ入って行くと、汗ばんだ着物の着替に取りかかった。蒸暑い工場のなかは綺麗に片着いて、電気がかっかと照っていた。

     八十四

 九時頃に小野田が外から帰って来たとき、駭《おどろ》かされたお島の心は、まだ全く鎮《しずま》らずにいた。人品や心の卑しげな川西に、いつでも誰にも動く女のように見られたのが可恥《はずか》しく腹立しかった。
「へえ、私がそんな女に見えたんですかね。そんな事をしたら、あの物堅い父に私は何といわれるでしょう」
 お島は迹《あと》から附絡《つきまと》って来る川西の兇暴な力に反抗しつつ、工場の隅《すみ》に、慄然《ぞっ》とするような体を縮めながらそう言って拒んだ。
 髯《ひげ》の延びた長い顎《あご》の、目の落窪《おちくぼ》んだ川西の顔が、お島の目には狂気《きちがい》じみて見えた。
「可《い》けません可けません、私は大事の体です。これから出世しなくちゃなりません。信用を墜《おと》しちゃ大変です」お島は片意地らしく脅《おど》し
前へ 次へ
全286ページ中213ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
徳田 秋声 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング