つ》いていた。時は秋の末であったらしく、近在の貧しい町の休茶屋や、飲食店などには赤い柿の実が、枝ごと吊《つる》されてあったりした。父親はそれらの休み茶屋へ入って、子供の疲れた足を劬《いた》わり休めさせ、自分も茶を呑んだり、莨《たばこ》をふかしたりしていたが、無智なお島は、茶屋の女が剥《む》いてくれる柿や塩煎餅《しおせんべい》などを食べて、臆病《おくびょう》らしい目でそこらを見まわしていた。今まで赤々していた夕陽《ゆうひ》がかげって、野面《のづら》からは寒い風が吹き、方々の木立や、木立の蔭の人家、黄色い懸稲《かけいね》、黝《くろ》い畑などが、一様に夕濛靄《ゆうもや》に裹《つつ》まれて、一日|苦使《こきつか》われて疲れた体《からだ》を慵《ものう》げに、往来を通ってゆく駄馬の姿などが、物悲しげみえた。お島は大きな重い車をつけられて、従順に引張られてゆく動物のしょぼしょぼした目などを見ると、何となし涙ぐまれるようであった。気の荒い母親からのがれて、娘の遣場《やりば》に困っている自分の父親も可哀そうであった。
 お島は爾時《そのとき》、ひろびろした水のほとりへ出て来たように覚えている。それは尾久
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