自身の心と力を打籠《うちこ》めて働けるような仕事に取着こうと思い立ったのは、その頃初まった外国との戦争が、忙《いそが》しいそれ等の人々の手に、色々の仕事を供給している最中《さなか》であった。
 自分の仕事に思うさま働いてみたい――奴隷のようなこれまでの境界《きょうがい》に、盲動と屈従とを強《し》いられて来た彼女の心に、そうした欲望の目覚めて来たのは、一度山から出て来て、お島をたずねてくれた浜屋の主人と別れた頃からであった。
 東京へ帰ってからのお島から、時々葉書などを受取っていた浜屋の主人は、菊の花の咲く時分に、ふいと出て来てお島のところを尋ねあてて来たのであったが、二日三日|逗留《とうりゅう》している間に、お島は浅草や芝居や寄席《よせ》へ一緒に遊びに行ったり、上野近くに取っていたその宿へ寄って見たりした。
 浜屋は近頃、以前のように帳場に坐ってばかりもいられなかった。そして鉱山《やま》の売買《うりかい》などに手を出していたところから、近まわりを其方《そっち》こっち旅をしたりして暮していたが、東京へ来たのもそんな仕事の用事であった。
「気を長くして待っていておくれ。そのうち一つ当れば、
前へ 次へ
全286ページ中163ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
徳田 秋声 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング