りと、人の賃仕事などで、漸《ようよ》う生きている身の上であった。
 昔しを憶いだすごとに、時々口にすることのある酒が、萎《な》えつかれた脈管にまわってくると、爪弾《つめびき》で端唄《はうた》を口吟《くちずさ》みなどする三味線が、火鉢《ひばち》の側の壁にまだ懸っていた。良人であったその剣客の肖像も、煤《すす》けたまま梁《うつばり》のうえに掲《かか》っていた。
 お島は養家を出てから、一二度ここへも顔出しをしたことがあったが、年を取っても身だしなみを忘れぬ伯母の容態などが、荒く育ってきた彼女には厭味に思われた。色の白そうな、口髭《くちひげ》や眉《まゆ》や額の生際《はえぎわ》のくっきりと美しいその良人の礼服姿で撮《と》った肖像が、その家には不似合らしくも思えた。
「伯母さんの旦那は、こんなお上品な人だったんですかね」
 お島は不思議そうにその前へ立って笑った。その良人が、若いおりには、或大名のお抱えであったりした因縁《いんねん》から、桜田の不意の出来事当時の模様を、この伯母さんは、お島に話して聞かせたりした。子供をつれて浅草へ遊びに行ったとき、子供が荷物に突当ったところから、天秤棒《てんびん
前へ 次へ
全286ページ中161ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
徳田 秋声 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング