三日、気が狂ったような心持で、有らん限りの力を振絞って、母親と闘って来た自分が、不思議なように考えられた。時々顔を上げて、彼女は太息《といき》を洩《もら》した。道が人気の絶えた薄暗い木立際《こだちぎわ》へ入ったり、線路ぞいの高い土堤《どて》の上へ出たりした。底にはレールがきらきらと光って、虫が芝生に途断《とぎ》れ途断れに啼立《なきた》っていた。青柳がいなければ、お島はそこに疲れた体を投出して、独《ひとり》で何時までも心の限り泣いていたいとも考えた。
 けれどお島は、長く青柳と一緒に歩いてもいなかった。松の下に、墓石や石地蔵などのちらほら立った丘のあたりへ来たとき、先刻《さっき》からお島が微《かすか》な予感に怯《おび》えていた青柳の気紛《きまぐ》れな思附が、到頭彼女の目の前に、実となって現われた。
「ちょッ……笑談《じょうだん》でしょう」
 道傍《みちばた》に立竦《たちすく》んだお島は、悪戯《いたずら》な男の手を振払って、笑いながら、さっさと歩きだした。
 甘い言《ことば》をかけながら、青柳はしばらく一緒に歩いた。
「御母さんに叱られますよ」お島は軽《かろ》くあしらいながら歩いた。
「現にその御母さんがどうだと思う。だから、あの家のことは、一切|己《おれ》の掌《て》のうちにあるんだ。ここで島ちゃんの籍をぬいて了《しま》おうと、無事に収めようと、すべて己の自由になるんだよ」
 威嚇《いかく》の辞《ことば》と誘惑の手から脱《のが》れて、絶望と憤怒に男をいら立《だた》せながら、旧《もと》の道へ駈出《かけだ》すまでに、お島は可也《かなり》悶※[#「※」は「足+宛」、第3水準1−92−36、51−14]《もが》き争った。
 直《じき》にお島は、息せき家へ駈つけて来た。そしていきなり父親の寝室《ねま》へ入って行った。
「それが真実《ほんとう》とすれあ、己にだって言分があるぞ」いつか眠についていた父親は、床のうえに起あがって、煙草を喫《ふか》しながら考えていた。
「彼奴《あいつ》はあんな奴ですよ。畜生《ちきしょう》人を見損《みそこな》っていやがるんだ」お島は乱れた髪を掻《かき》あげながら、腹立しそうに言った。そして興《はず》んだ調子で、現場の模様を誇張して話した。父の信用を恢復《とりかえ》せそうなのと、母親に鼻を明《あか》させるのが、気色《きしょく》が好かった。

     二十七

 お島が不断から目をかけてやっている銀さんと云う年取った車夫が、誰の指図《さしず》とも知れず、俥《くるま》を持って迎いに来たのは、お島たちが漸《やっ》と床に就こうとしている頃であった。
「何だ今時分……」玄関わきの部屋に寝ていたお島は、その声を聞つけると、寝衣《ねまき》に着替えたまま、門の潜《くぐ》りを開けに出たが、盆暮にお島が子供に着物や下駄を買ってくれたり、餅《もち》をついてやったりしていた銀さんは、どうでも今夜中に帰ってくれないと、家の首尾がわるいと言って、門の外に立ったまま動かなかった。
「きっと青柳と御母さんと相談ずくで、寄越したんだよ」お島は一応その事を父親に告げながら笑った。
 父親は、お島から養家の色々の事情を聞いて、七分通り諦《あきら》めているようであったが、矢張《やっぱり》このまま引取って了《しま》う気にはなっていなかった。作太郎と表向き夫婦にさえなってくれれば、少しくらいの気儘《きまま》や道楽はしても、大目に見ていようと云ったと云う養母の弱味なども、父親には初耳であった。
「芸人を買おうと情人《おとこ》を拵《こしら》えようとお前の腕ですることなら、些《ちっ》とも介意《かま》やしないなんて、そこは自分にも覚えがあるもんだから、お察しがいいと見えて、よくそう言いましたよ。どうして、あの御母さんは、若い時分はもっと悪いことをしたでしょうよ」お島は頑固な父親をおひゃらかすように、そうも言った。
 そんな連中《れんじゅう》のなかにお島をおくことの危険なことが、今夜の事実と照合《てりあわ》せて、一層|明白《はっきり》して来るように思えた父親は、愈《いよいよ》お島を引取ることに、決心したのであったが、迎いが来たことが知れると、矢張心が動かずにはいなかった。
「作さんを嫌って、お島さんが逃げたって云うんで、近所じゃ大評判さ」とにかく今夜は帰ることにして、銀さんは、漸《ようよ》うお島を俥に載せると、梶棒《かじぼう》につかまりながら話しはじめた。
「だが今あすこを出ちゃ損だよ。あの身|代《だい》を人に取られちゃつまらないよ」
「作の馬鹿はどんな顔している」お島は車のうえから笑った。
 家へ入っても、いつものように父親の前へ出て謝罪《あやま》ったり、お叩頭《じぎ》をしたりする気になれなかったお島は、自分の部屋へ入ると、急いで寝支度に取かかった。
「帰ったら帰った
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