となどを憶出《おもいだ》していた。そして旅費さえ偸《ぬす》み出すことができれば、何時でもその男を頼って、外国へ渡って行けそうな気さえするのであった。
「ここまで漕《こ》ぎつけて、今一ト息と云うところで、あの財産を放抛《うっちゃ》って出るなんて、そんな奴があるものか」
 お島がその希望をほのめかすと、西田の老人は頭からそれを排斥した。この老人の話によると、養家の財産は、お島などの不断考えているよりは、※[#「※」は「しんにょう+向」、第3水準1−92−55、40−6]《はるか》に大きいものであった。動産不動産を合せて、十万より凹《へこ》むことはなかろうと云うのであった。床下の弗函《ドルばこ》に収《しま》ってあると云う有金だけでも、少い額ではなかろうと云うのであった。その中には幾分例の小判もあろうという推測も、強《あなが》ち嘘《うそ》ではなかろうと思われた。
 小《こまか》い子供を多勢持っているこのお爺さんも、旧《もと》は矢張《やっぱり》お島の養父から、資金の融通を仰いだ仲間の一人《いちにん》であった。今でも未償却のままになっている額が、少くなかった。老人は、何をおいても先《まず》、慾を知らなければ一生の損だということをお島にくどくど言聴《いいきか》した。
 お島はそれでその時はまた自分の家の閾《しきい》を跨《また》ぐ気になるのであったが、この老人や青柳などの口利《くちきき》で、婿が作以外の人に決めらるるまでは、動きやすい心が、動《と》もすると家を離れていこうとした。

     二十

 婚礼|沙汰《ざた》が初まってから、毎日のように来ては養父母と内密《ないしょ》で談《はなし》をしていた青柳は、その当日も手隙《てすき》を見てはやって来て、床の間に古風な島台を飾りつけたり、何処からか持って来た箱のなかから鶴亀《つるかめ》の二幅対を取出して、懸けて眺《なが》めたりしていた。
「今度と云う今度は島ちゃんも遁出《にげだ》す気遣《きづかい》はあるまい。己《おれ》の弟は男が好いからね」青柳はそう言いながら、この二三日得意先まわりもしないでいるお島の顔を眺めた。青柳は頭顱《あたま》の地がやや薄く透けてみえ、明《あかる》みで見ると、小鬢《こびん》に白髪《しらが》も幾筋かちかちかしていたが、顔はてらてらして、張のある美しい目をしていた。弟はそれほど立派ではなかったが、摺《す》った揉《も》んだの揚句に、札がまたその男におちたと聞されたとき、お島は何となく晴がましいような気がせぬでもなかった。彼はその頃通いつつある工場の近くに下宿していて、兄の家にはいなかった。お島はこの正月以来その姿を見たこともなかった。一度自分に附文《つけぶみ》などをしてから、妙に疎々《うとうと》しくなっていたあの男が、婚礼の晩にどんな顔をして来るかと思うと、それが待遠しいようでもあり、不安なようでもあった。
 その日は朝からお島は、気がそわそわしていた。そしてまだ夜露のじとじとしているような畠へ出て、根芋を掘ったきりで、何事にも外の働きはしなかった。畑にはもう刈残された玉蜀黍《とうもろこし》や黍《きび》に、ざわざわした秋風が渡って、囀《さえず》りかわしてゆく渡鳥の群が、晴きった空を遠く飛んで行った。
 午頃《ひるごろ》に頭髪《かみ》が出来ると、自分が今婚礼の式を挙げようとしていることが、一層|分明《はっきり》して来る様であったが、その相手が、十三四の頃から昵《なじ》んで、よく揶揄《からか》われたり何かして来た気象の剽軽《ひょうきん》な青柳の弟に当る男だと思うと、更《あらたま》ったような気分にもなれなかった。おとらと三人でいる時でも、青柳はよくめきめき娘に成ってゆくお島の姿形《すがたかたち》を眺めて、おとらに油断ができないと思わせるような猥《みだら》な辞《ことば》を浴せかけた。
 作太郎はというと、彼も今日は一日一切の仕事を休ませられて、朝から床屋へいったり、湯に入ったりして冶《めか》していた。そしてお島の顔さえみるとにこにこして、座敷へ入って、ごたごた積重ねられてある諸方からの祝の奉書包や目録を物珍らしそうに眺めていた。
 頼んであった料理屋の板前が、車に今日の料理を積せて曳込《ひきこ》んで来た頃には、羽織袴《はおりはかま》の世話焼が、そっち行き此方《こっち》いきして、家中が急に色めき立って来た。その中には、始終気遣わしげな顔をして、ひそひそ話をしている西田の老人もあった。
「今夜|遁出《にげだ》すようじゃ、お島さんも一生まごつきだぞ。何でも可《い》いから、己《おれ》に委して我慢をして……いいかえ」
 箪笥に倚《よ》りかかって、ぼんやりしているお島の姿を見つけると、老人は側へよって来て力をこめて言聴かせた。

     二十一

 お島が、これも当夜の世話をしに昼から来ていた髪
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