らで、島ちゃんの旦那は碌素法《ろくすっぽう》工場へ顔出しもしないで、そこへばかり入浸《いりびた》っていたんだって。それで、その手紙にこんな事まで書いてあるんだってさ。これも東京の人で、彼方《あちら》へ往く度《たんび》に札びら切って、大尽風をふかしているお爺さんが、鉱山《やま》が売れたら、その女を落籍《ひか》して東京へつれていくといっているから、それを踏台にして、東京へ出ましょうかって。ねえ、ちょいとお安くないじゃないの」
 姉は植源の嫁から聞いたと云うその女の噂を、こまごまと話して聞した。
「それに鶴さんは、着物や半衿《はんえり》や、香水なんか、ちょいちょい北海道《あちら》へ送るんだそうだよ。島ちゃん確《しっか》りしないと駄目だよ」姉はそうも言った。
「何《なあ》に」と思って、お島は聞いていたのであったが、女にどんな手があるか解らないような、恐怖《おそれ》と疑惧《ぎぐ》とを感じて来た。

     三十七

 植源の嫁のおゆうの部屋で、鶴さんと大喧嘩をした時のお島は、これまで遂《つい》ぞ見たこともないようなお盛装《めかし》をしていた。
 お島が鶴さんに無断で、その取つけの呉服屋から、成金の令嬢か新造《しんぞ》の着る様な金目のものを取寄せて、思いきったけばけばしい身装《なり》をして、劈頭《のっけ》に姉を訪ねたとき、彼女は一調子かわったお島が、何を仕出来《しでか》すかと恐れの目を※[#「※」は「目+爭」、第3水準1−88−85、71−3]《みは》った。看《み》ればハイカラに仕立てたお島の頭髪《あたま》は、ぴかぴかする安宝石で輝き、指にも見なれぬ指環が光って、体に咽《むせ》ぶような香水の匂《におい》がしていた。
 旅から帰ってからの鶴さんに、始終こってり作《づくり》の顔容《かおかたち》を見せることを怠らずにいたお島の鏡台には、何の考慮もなしに自暴《やけ》に費さるる化粧品の瓶《びん》が、不断に取出されてあった。夜《よる》臥床《ふしど》に就くときも、色々のもので塗りあげられた彼女の顔が、電気の灯影に凄《すご》いような厭な美しさを見せていた。
「大した身装《なり》じゃないか。商人の内儀《かみ》さんが、そんな事をしても可《い》いの」惜気もなくぬいてくれる、お島が持古しの指環や、櫛《くし》や手絡《てがら》のようなものを、この頃に二度も三度ももらっていた姉は、媚《こ》びるように、お島
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