へ湯治に行っていたりした為だというのであったが、それから程なく、鶴さんの留守の間《ま》に北海道から入って来た数通の手紙の一つが、旅で馴染《なじみ》になった女からであることが、その手紙の表記《うわがき》でお島にも容易《たやす》く感づけた。
帰ってからも、そっちこっち飛歩いていて、碌々《ろくろく》旅の話一つしんみり為《し》ようともしなかった鶴さんが、ある日帳簿などを調べたところによると、お島はお島だけで、留守中に可也《かなり》販路を拡めていることが解って来たが、それは率《おおむ》ね金払いのわるいような家ばかりであった。これまでに鶴さんが手をやいた質《たち》の悪い向《むき》も二三軒あったが、中にはまたお島が古くから知っている堅い屋敷などもあった。お島は少しでも手繋《てがかり》のあるようなそれ等の家から、食料品の註文を取ることが、留守中の毎日々々の仕事であったが、品物ばかり出て勘定の滞っているのが、其方《そっち》にも此方《こっち》にも発見せられた。
悪阻《つわり》などのために、夏中|動《やや》もするとお島は店へも顔を出さず、二階に床を敷いて、一日寝て暮すような日が多かったが、気分の好い時でも、その日その日の売揚《うりあげ》の勘定をしたり、店のものと一緒に、掛取に頭脳《あたま》を使ったりするのが煩《わずら》わしくなると、着飾って生家《さと》や植源へ遊びに出かけるか、昵《なじ》みの多い旧《もと》の養家の居周《いまわり》やその得意先へ上って話こむかして、時間を銷《け》さなければならなかった。養家では、作太郎が近所の長屋を一軒もらって、嫁と一緒に相変らず真黒になって働いていたが、お島はその方へも声をかけた。
「今度田舎の土産でもさげて、お島さんの婿さんの顔を見にいくだかな」作は帰りがけのお島に言ってにやにや笑っていた。
「まあそうやって、後生大事に働いてるが可《い》いや。私も危《あぶな》く瞞《だま》されるところだったよ。養母《おっか》さんたちは人がわるいからね」お島も棄白《すてぜりふ》でそこを出た。
三十六
暫《しばら》くぶりで、一日遊びに来た姉が、その日も朝から店をあけている鶴さんや、知りたくもない植源の嫁の噂《うわさ》などをして、一人で饒舌《しゃべ》りちらして帰って行った。
お島は気骨の折れる子持の客の帰ったあとで、気憊《きづか》れのした体を帳場格子《ちょ
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