三日、気が狂ったような心持で、有らん限りの力を振絞って、母親と闘って来た自分が、不思議なように考えられた。時々顔を上げて、彼女は太息《といき》を洩《もら》した。道が人気の絶えた薄暗い木立際《こだちぎわ》へ入ったり、線路ぞいの高い土堤《どて》の上へ出たりした。底にはレールがきらきらと光って、虫が芝生に途断《とぎ》れ途断れに啼立《なきた》っていた。青柳がいなければ、お島はそこに疲れた体を投出して、独《ひとり》で何時までも心の限り泣いていたいとも考えた。
 けれどお島は、長く青柳と一緒に歩いてもいなかった。松の下に、墓石や石地蔵などのちらほら立った丘のあたりへ来たとき、先刻《さっき》からお島が微《かすか》な予感に怯《おび》えていた青柳の気紛《きまぐ》れな思附が、到頭彼女の目の前に、実となって現われた。
「ちょッ……笑談《じょうだん》でしょう」
 道傍《みちばた》に立竦《たちすく》んだお島は、悪戯《いたずら》な男の手を振払って、笑いながら、さっさと歩きだした。
 甘い言《ことば》をかけながら、青柳はしばらく一緒に歩いた。
「御母さんに叱られますよ」お島は軽《かろ》くあしらいながら歩いた。
「現にその御母さんがどうだと思う。だから、あの家のことは、一切|己《おれ》の掌《て》のうちにあるんだ。ここで島ちゃんの籍をぬいて了《しま》おうと、無事に収めようと、すべて己の自由になるんだよ」
 威嚇《いかく》の辞《ことば》と誘惑の手から脱《のが》れて、絶望と憤怒に男をいら立《だた》せながら、旧《もと》の道へ駈出《かけだ》すまでに、お島は可也《かなり》悶※[#「※」は「足+宛」、第3水準1−92−36、51−14]《もが》き争った。
 直《じき》にお島は、息せき家へ駈つけて来た。そしていきなり父親の寝室《ねま》へ入って行った。
「それが真実《ほんとう》とすれあ、己にだって言分があるぞ」いつか眠についていた父親は、床のうえに起あがって、煙草を喫《ふか》しながら考えていた。
「彼奴《あいつ》はあんな奴ですよ。畜生《ちきしょう》人を見損《みそこな》っていやがるんだ」お島は乱れた髪を掻《かき》あげながら、腹立しそうに言った。そして興《はず》んだ調子で、現場の模様を誇張して話した。父の信用を恢復《とりかえ》せそうなのと、母親に鼻を明《あか》させるのが、気色《きしょく》が好かった。

     二十七
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