《き》きの口から、父親の耳へも入っていた。それらの人の話によると、安心して世帯《しょたい》を譲りかねるような挙動《ふるまい》がお島に少くなかった。金遣いの荒いことや、気前の好過ぎることなどもその一つであった。おとらと青柳との秘密を、養父に言告《いいつ》けて、内輪揉めをさせるというのもその一つであったが、総てを引括《ひっくる》めて、養家に辛抱しようと云う堅い決心がないと云うのが、養父等のお島に対する不満であるらしかった。
「だから言わんこっちゃない。稚《ちいさ》い時分から私が黒い目でちゃんと睨《にら》んでおいたんだ。此方から出なくたって、先じゃ疾《とう》の昔に愛相《あいそ》をつかしているのだよ」母親はまた意地張《いじっぱり》なお島の幼《ちいさ》い時分のことを言出して、まだ娘に愛着を持とうとしている未練げな父親を詛《のろ》った。
「こんなやくざものに、五万十万と云う身上《しんしょう》を渡すような莫迦《ばか》が、どこの世界にあるものか」
太《ふ》てていて、飯にも出て来ようとしないお島を、妹や弟の前で口汚く嘲《あざけ》るのが、この場合母親に取って、自分に隠して長いあいだお島を庇護《かばい》だてして来た父親に対する何よりの気持いい復讎《ふくしゅう》であるらしく見えた。
お島も負けていなかった。母親が、角張った度強《どづよ》い顔に、青い筋を立てて、わなわな顫《ふる》えるまでに、毒々しい言葉を浴せかけて、幼いおりの自分に対する無慈悲を数えたてた。目からぽろぽろ涙が流れて、抑えきれない悲しみが、遣瀬《やるせ》なく涌《わき》立って来た。
「手前《てめえ》」とか、「くたばってしまえ」とか、「親不孝」とか、「鬼婆」とか、「子殺し」とか云うような有りたけの暴言が、激《げき》しきった二人の無思慮な口から、連《しきり》に迸《ほとばし》り出た。
そんな争いの後に、お島は言葉巧な青柳につれられて、また悄々《すごすご》と家を出て行ったのであった。
二十六
その晩は月は何処の森《もり》の端《は》にも見えなかった。深く澄《すみ》わたった大気の底に、銀梨地《ぎんなしじ》のような星影がちらちらして、水藻《みずも》のような蒼《あお》い濛靄《もや》が、一面に地上から這《はい》のぼっていた。思いがけない足下《あしもと》に、濃い霧を立てて流れる水の音が、ちょろちょろと聞えたりした。お島はこの二
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