たが、養父が湯治に行ってからは、青柳がまたちょくちょく入込んでいた。それでなくとも、十年来住みなれて来ながら、一生ここで暮せようとは思えなくなった家に、めっきり親しみがなくなって来たお島は、よく懇意の得意先へあがっていって、半日も話込んでいた。主人《あるじ》に代って、店頭《みせさき》に坐ってお客にお世辞を振撒《ふりま》いたり、気の合った内儀《かみ》さんの背後《うしろ》へまわって髪を取《とり》あげてやったりした。
「私二三年東京で働いてみようかしら」お島は何か働き効《がい》のある仕事に働いてみたい望みが湧いていた。
「笑談《じょうだん》でしょう」内儀さんは笑っていた。
「いいえ真実《まったく》。私この頃つくづくあの家が厭になってしまったんです」
「でも貴方にぬけられちゃ、お家《うち》で困るでしょう」
「どうですかね。安心して私に委せておけないような人達ですからね。何を仕出来《しでか》すかと思って、可怕《おっかな》いでしょう」お島は可笑《おか》しそうに笑った。
 目こする間《ま》に、さっさと髷《まげ》に取揚げられた内儀さんの頭髪《あたま》は、地《じ》が所々|引釣《ひきつ》るようで、痛くて為方《しかた》がなかった。

     十九

 お島は或時は、それとなく自分に適当した職業を捜そうと思って、人にも聞いてみたり、自分にも市中を彷徨《ぶらつ》いてみたりしたが、自分の智識が許しそうな仕事で、一生懸命になり得るような職業はどこにも見当らなかった。坐って事務を取るようなところは、碌々《ろくろく》小学校すら卒業していない彼女の学力が不足であった。
 お島は時とすると、口入屋の暖簾《のれん》をくぐろうかと考えて、その前を往ったり来たりしたが、そこに田舎の駈出《かけだ》しらしい女の無智な表情をした顔だの、みすぼらしい蝙蝠《こうもり》や包みやレーザの畳のついた下駄などが目につくと、もう厭になって、その仲間に成下《なりさが》ってまでゆこうと云う勇気は出なかった。
 お島は日がくれても家へ帰ろうともしず、上野の山などに独《ひとり》でぼんやり時間を消すようなことが多かった。山の下の多くの飲食店や、商家《あきないや》には灯《ひ》が青黄色い柳の色と一つに流れて、そこを動いている電車や群衆の影が、夢のように動いていた。お島はそんな時、恩人の子息《むすこ》で、今アメリカの方へ行っているという男のこ
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