図《さしず》して、可也大きな赤松を一株《ひともと》、或得意先へ持運ぶべく根拵《ねごしら》えをしていた。
お島はおとらを客座敷の方へ案内すると、直《じき》に席をはずして了ったが、実母の吩咐《いいつけ》で父親を呼びに行った。お島はこうして邪慳《じゃけん》な実母の傍へ来ていると、小さい時分から自分を可愛《かわい》がって育ててくれた養母の方に、多くの可懐《なつか》しみのあることが分明《はっきり》感ぜられて来た。養家や長い馴染《なじみ》のその周囲も恋しかった。
「島ちゃん、お前さんそう幾日も幾日もこちらの御厄介になっていても済まないじゃないか。今日は私がつれに来ましたよ」おとらにいきなりそう言って上り込んで来られた時、お島は反抗する張合がぬけたような気がして、何だか涙ぐましくなって来た。
「手前の躾《しつけ》がわりいから、あんな我儘《わがまま》を言うんだ。この先もあることだから放抛《うっちゃ》っておけと、宅ではそう言って怒っているんですけれど、私もかかり子《ご》にしようと思えばこそ、今日まで面倒を見てきたあの子ですからね」
おとらのそう言っている挨拶《あいさつ》を茶の間で茶をいれながら、お島は聞いていたが、お島のことと云うと、誰に向ってもひり出すように言いたい実母も、ただ簡単な応答《うけごたえ》をしているだけであった。
こんな出入に口無調法な父親は、さも困ったような顔をしていたが、旋《やが》て井戸の方へまわって手顔を洗うと、内へ入って来た。お島は母親のいないところで、ついこの一両日前にも、父親が事によったら、母親に秘密で自分に頒《わ》けてもいいと言った地面の坪数や価格などについて、父親に色々聞されたこともあった。その坪は一千|弱《たらず》で、安く見積っても木ぐるみ一万円が一円でも切れると云うことはなかろうと云うのであった。お島は心強いような気がしたが、母親の目の黒いうちは、滅多にその分前《わけまえ》に有附けそうにも思えなかった。
「家の地面は、全部でどのくらいあるの」お島は爾時《そのとき》も父親に訊いてみた。
「そうさな」と、父親は笑っていたが、それが大見《おおけん》一万近いものであることは、お島にも考えられた。中には野菜畠や田地も含まれていた。子供が多いのと、この二三年兄の浪費が多かったのとで、借金の方《かた》へ入っている場所も少くなかった。去年の秋から、家を離れて、
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